タラ戦争 第二次タラ戦争

タラ戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/28 02:40 UTC 版)

第二次タラ戦争

1972年、再び政権交代を起こしたアイスランド政府は自国の漁業専管水域を50海里へと拡大する新法を制定した。主張された海域で操業していたイギリスと西ドイツは国際司法裁判所へ提訴。判決によりイギリス側の主張は認められたが、アイスランドは先の交換公文自体が無効であると主張、裁判を欠席しこれに従わなかった。イギリスは再び漁船保護のために軍艦を送り出す。

アイスランド沿岸警備隊はこの時から、トロール漁船の網を鉤で引っ掛けて切断してしまう悪名高い「ネットカッター英語版」を使用し始めた。第二次タラ戦争終結までに84隻のトロール漁船が網を切断されている。イギリス側はこれに対抗するため大型の高速タグボートによって漁船を護衛したが、これが沿岸警備隊との体当たり合戦に発展する。1973年1月、ヘイマエイ島エルト火山が噴火。沿岸警備隊は救助に向かったため、トロール漁船は自由に操業することができたが、それも束の間のことだった。警備隊の砲撃をイギリスのタグボートが受けたり、砲撃によってイギリス漁船が破壊されることもあれば、アイスランドの灯台船や警備船にイギリス艦隊が砲撃することもあった。

アイスランド政府は、NATOのイギリス戦闘機を管制空域から締め出して国交を断絶するとほのめかした。9月16日にNATOの将軍がレイキャヴィークで交渉にあたった結果、10月にイギリス艦隊はすべて本国に帰還した。

1973年11月8日、アイスランドはイギリス船が50海里内の一部の水域でのみ操業することを認める協定を結び、第二次タラ戦争は終結した。これにはイギリスの年間漁獲量を13万トンまでに制限することが前提であり、また1975年11月までの暫定的なものだった。

同年、イギリスは欧州自由貿易連合(EFTA)を脱退し欧州経済共同体 (EEC) に加盟しているが、この紛争に非協力的だったのが一因とも言われている。




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