タミー・ワイネット 私生活

タミー・ワイネット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/17 05:20 UTC 版)

私生活

結婚

ワイネットは5回結婚している。

  • 1960年4月〜1966年、ユープル・バード、娘3人
  • 1967年〜1968年(婚姻無効)、ドン・チャペル(本名ロイド・フランクリン・アンバーギー)
  • 1969年2月16日〜1975年3月21日、ジョージ・ジョーンズ
  • 1976年7月18日〜1976年9月(44日間)、マイケル・トムリン
  • 1978年7月6日〜1998年4月6日(ワイネット没)、ジョージ・リッチー

シンガーソングライターのリッチーは1980年代にワイネットのマネージャーを務めていた。ワイネットは俳優のバート・レイノルズと交際したことがあり、ワイネットが突然亡くなるまで良い友人関係であった。

子供

1人目の夫バードとの間に3人子供がいる。1961年4月15日にグウェンドリン・リー(グウェン)、1962年8月2日にジャクリン・フェイ(ジャッキー)、1965年3月27日にティナ・デニスを出産した。20歳の時に長女と次女を出産した。ワイネットの『ニューヨーク・タイムズ』紙によるベストセラー自伝、『Stand By Your Man 』によると、ティナは予定より3ヶ月早く推定2パウンドで生まれ、3か月間保育器で育った。生後3ヶ月での退院時には5パウンドにも満たなかった。退院3週間後、同居していた親戚はティナを抱き上げようとすると苦しそうに叫ぶため、ティナの背中に問題があるのではないかと考えた。ティナは脊髄膜炎で余命が長くないと診断された。2週間半ティナは隔離室で過ごし、さらに7週間入院して回復した。ティナは医師や看護師から「奇跡の子」と呼ばれた。1975年、ワイネットとジョーンズはデュエット・アルバム『George and Tammy and Tina 』を製作し、ティナはジョーンズと『The Telephone Call 』、ワイネットと『No Charge 』で共演した。

1970年10月5日、ワイネットとジョーンズはタマラ・ジョージェット・ジョーンズをもうけ、ジョージェットはカントリー・アンド・ウエスタンの歌手としての才能もありながら17年間看護師を務めた。母ワイネットが美容師の資格を毎年更新していたのと同様にジョージェットも看護師の資格を毎年更新している。2010年、デビュー・アルバム『Slightly Used Woman 』の他、『Strong Enough To Cry 』でも成功をおさめ、2013年4月、ワイネット、シェリル、リッチーが作曲した『Til I Can Make It On My Own 』、ワイネット、シェリルが作曲したワイネットの代表曲『Stand By Your Man 』を含む、ワイネットへのトリビュート・アルバム『Til I Can Make It On My Own 』を出版した。

ジョーンズはワイネットと結婚直後、ワイネットの長女グウェン、次女ジャッキー、三女ティナを法的に養子とした[17]

健康問題

1970年代初頭、ワイネットは多くの病に悩まされており、生涯で少なくとも26回手術を受けた。いかに病が重くとも、ワイネットは歌手活動およびプロモーション・ツアーを続けた。

1970年10月、ジョージェット出産後、ワイネットは虫垂切除術と子宮摘出術を受けた。子宮摘出術で癒着などの合併症が起こり、ケロイドとなった。胆管の慢性炎症が悪化し、1970年から1998年4月6日に亡くなるまで断続的に入院した[18]。マイケル・トムリンとの短期間の婚姻中、胆嚢、腎臓、咽頭の手術のため結婚生活の半分を病院で過ごした。

1980年代、鎮痛剤の重度の依存症となり、人生最大の問題となった[19]。1986年、薬物依存症治療のベティ・フォード・センターに入所した。治療期間中、CBCの『Capitol 』に出演し、美容師から歌手となるDarlene Stankowski 役を演じた[20]

1993年のクリスマス直後、ワイネットは激痛により夜中に目が覚めてテネシー州ナッシュビルのバプティスト病院に搬送され、胆管感染症で5日間昏睡状態であった。昏睡から覚めると、腸バイパス形成術をしなくてはならなかった。その後短期間でツアー公演を再開した[18]

1998年3月5日、病気のロレッタ・リンの代理で行なったコンサートが最後の公演となった。1998年3月9日、TNN の『Prime Time Country 』で『Stand By Your Man 』、『Take Me To Your World 』を演奏したのが最後のテレビ出演となった。1997年3月17日、初めてのトップ5『Your Good Girl's Gonna Go Bad 』、代表曲『Stand By Your Man 』、デビュー曲でクラシック・カントリーとされる『Apartment #9 』を演奏したのが最後の『グランド・オール・オープリー』出演となった。この時、ロリー・モーガンとジャン・ハワードも『オープリー』に出演してワイネットを助けた。モーガンにとってワイネットは子供の頃からのアイドルで、ハワードにとってワイネットは親友であった。

依存症による鎮痛剤の過剰摂取、入退院を繰り返して約15回の大手術を経験して数年に亘る闘病の後[21]、1998年4月6日、55歳でワイネットは自宅のカウチで睡眠中に亡くなった。医師によるとワイネットは肺の血栓症により亡くなった。慢性の病に関わらず、亡くなる直前まで演奏を続け、さらなる演奏も予定されていた。

1998年4月9日にナッシュビルのライマン公会堂で行われたお別れ会には1,500人が訪れた。これ以前に近親者のみが出席してナッシュビルのウッドロウン記念墓地に埋葬された[22]。作曲家のビル・マックは『ダラス・モーニング・ニュース』の中で彼女について「一流」で「かけがえのない」「安定した」歌手と表した。リアン・ウオマックはワイネットの曲には強さと情熱を感じ、ワイネットは歌詞を的確に表現しており、曲を聴くとそれがよくわかると語った他、ワイネットは夫ジョージ・リッチー、4人の娘、8人の孫のおかげでこれまで生きてこられたとも語った[18]

1999年4月、死因を再度解明するため遺体が掘り起こされた[23]。娘3人は医師、夫でマネージャーのジョージ・リッチーをワイネットの不法死亡で訴えた。検視官はワイネットは不整脈で亡くなったと判断した[24]。1999年5月、リッチーは事実無根であるとして反対訴訟の準備を始めたことから訴訟対象から外された。ワイネットの娘ジャッキー・デイリーは母の死についてリッチーに尋ねる前に『スター』誌にこの話を売った。リッチーはこれらの質問を個人的に聞かれたことはなく、娘たちは母の詳細について出版社に頼ったのであった。ワイネットはナッシュビルのウッドロウン記念墓地の霊廟に再度埋葬された[25]。この墓地には他にウエブ・ピアス、ジェリー・リード、マーティ・ロビンズ、ボビー・ラッセル、ポーター・ワゴナー、レッド・フォーリー、エディ・アーノルドなどカントリー界の著名人が埋葬されており、2013年4月には元夫のジョージ・ジョーンズも埋葬された。

2012年3月、墓標が「タミー・ワイネット」から、ジョージ・リッチーと結婚後の最後の法的な名である「ヴァージニア・W・リチャードソン」に変更された[26]。しかし2014年3月、再度「タミー・ワイネット」に戻された[27]

遺産

オールミュージックや『ローリング・ストーン』誌などの多数の音楽評論家からカントリー史上最大および最も影響力のある女性歌手の1人とされている。サラ・エヴァンズ、フェイス・ヒル、リアン・ウオマックなど多くの女性カントリー歌手がワイネットの影響を受けている。1998年、ワイネット没後、その功績を称えられカントリー・ミュージック殿堂入りした。同年、代表曲『Stand By Your Man 』を含むスペシャルCDコレクション『Tammy Wynette: Collector's Edition 』が出版されたがカントリー・チャートにおいて惜しくもトップ40に入らなかった。

Stand By Your Man 』はリン・アンダーソン、ドッティ・ウエスト、ロレッタ・リンエルトン・ジョンライル・ラヴェットなど女性アーティストだけでなく男性アーティストからもカバーされており、ミー・ファースト・アンド・ザ・ギミー・ギミーズなどのロック・バンドにもカバーされている。2005年、マルティナ・マクブライドはカントリーの定番曲を収録したアルバム『Timeless 』で1976年の『'Til I Can Make It on My Own 』をカバーした。1980年、映画『ブルース・ブラザース』でもこの曲はコメディ化してカバーされた。1997年、アメリカレコード協会は21世紀を代表する300曲から選ぶ「世紀の歌」の第48位に『Stand By Your Man 』を認定した。

2001年、ワイネットの人生を基にし、ワイネットやジョージ・ジョーンズの曲を使用したミュージカル『Stand By Your Man: The Tammy Wynette Story 』がライマン公会堂で開幕し、全米ツアー公演が行われた。

2002年、CMTは女性カントリー・アーティスト40名で第1位のパッツィー・クラインに続く第2位にワイネットを位置づけた。ちなみに第3位はロレッタ・リンであった。また2003年、CMTは男性カントリー・アーティスト40名にワイネットの元夫ジョージ・ジョーンズを第3位に位置づけた。2003年、カントリーの作曲家、プロデューサー、アーティストが選ぶカントリー100曲で『Stand By Your Man 』が第1位となり、CMTの特別番組でマルティナ・マクブライドがこの曲を歌った。

ワイネットの邸宅の近くにあるジャドソン・バプティスト教会はハンク・ウィリアムズ没後ワイネット邸となった邸宅と土地を100万ドル強で購入した。現在この邸宅はユース・センターおよびゲスト・ハウスとして使用されている。

2008年4月、ワイネット没後10周年を記念してソニーBMGよりCD『Stand By Your Man — The Best of Tammy Wynette 』が出版され、イギリスのアルバム・チャートで第23位となった。

2011年4月、アメリカ議会図書館はその年を代表する25曲にオリジナルの1968年の『Stand By Your Man 』を選んだ。

2010年、ドイツを拠点とするレコード会社ベア・ファミリー・レコードはジョージ・ジョーンズのボックス・セットを出版し、ワイネットとの初期のデュエットも収録された[要出典]


  1. ^ https://www.youtube.com/watch?v=wkMlBgB-Cd0
  2. ^ a b Wynette, Tammy, with Joan Dew. Stand By Your Man. New York: Simon and Schuster, 1979. pp. 13-18, 34.
  3. ^ a b c Tammy Wynette profile; accessed November 14, 2014.
  4. ^ Stand By Your Man, p. 83.
  5. ^ Stand By Your Man, p. 102.
  6. ^ In her 1979 autobiography, Stand By Your Man, p. 189, she wrote that it was written in "about fifteen minutes." In an interview with Tammy Wynette shown on the BBC 2 Television documentary "Tammy Wynette: 'till I Can Make It on My Own" she said it took 20 minutes to compose the words for "Stand By Your Man." June 7, 2010
  7. ^ Musician Guide.com profile
  8. ^ Joan Dew. Singers and Sweethearts: The Women of Country Music. Dolphin, 1977. Also Roy Blount, Jr., "Country's Angels," Esquire, March 1977, pp. 62–66+.
  9. ^ The New York Times report on her memorial service reports her bankruptcy, April 10, 1998, p. D–19.
  10. ^ Tammy Wynette chronology
  11. ^ New York Times, April 7, 1998, p. A–24.
  12. ^ https://www.youtube.com/watch?v=RPjggN-KByI
  13. ^ www.cmt.com
  14. ^ アーカイブされたコピー”. 2005年5月4日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2008年7月20日閲覧。
  15. ^ Hillary Rodham Clinton comment
  16. ^ Quotation from a combination of partial quotations reported in Newsweek, vol. 131, No. 16, April 20, 1998, p. 59, and in the New York Times, Apr 7, 1998, p. A–24.
  17. ^ Georgette Jones (home World Wide Web site), http://georgettejones.com/ .
  18. ^ a b c Tammy Wynette profile at Musician Guide.com
  19. ^ Jimmy McDonough (February 22, 2011). Tammy Wynette: Tragic Country Queen. Penguin Group USA. ISBN 978-0-14-311888-6. https://books.google.co.jp/books?id=MoTdSgAACAAJ&redir_esc=y&hl=ja 
  20. ^ http://tammywynette.tumblr.com/post/4078000819/tammy-wynette-joined-the-cast-of-the-cbs-soap
  21. ^ See above, "Health Problems." Also, Yahlin Chang, "Country Music Mystery," Newsweek, April 19, 1999, p. 62.
  22. ^ New York Times, April 10, 1998, p. D–19.
  23. ^ The lawsuit and request for exhumation was reported by Yahlin Chang, "Country Music Mystery," Newsweek,April 19, 1999, p. 62.
  24. ^ Neil Cossar (2011年5月4日). “This Day In Music, May 5: Tammy Wynette and Elvis Presley”. The Morton Report. 2012年10月20日閲覧。
  25. ^ Edward Morris (2012年5月9日). “Tammy Wynette's Stepdaughter Says Singer's Children Agreed on Name Switch”. CMT News. 2012年10月20日閲覧。
  26. ^ Edward Morris (2012年3月5日). “Tammy Wynette's Name Removed From Her Nashville Tomb”. CMT News. 2012年10月20日閲覧。
  27. ^ Tammy Wynette's grave once again features performer's stage name”. www.musictimes.com. 2014年10月14日閲覧。


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