ジム・ブラウン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/18 09:23 UTC 版)
Jim Brown | |||||||||||||||
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2014年撮影 | |||||||||||||||
基本情報 | |||||||||||||||
ポジション |
ランニングバック フルバック | ||||||||||||||
生年月日 | 1936年2月17日(87歳) | ||||||||||||||
出身地 |
アメリカ合衆国 ジョージア州セントサイモンズ | ||||||||||||||
身長: | 6' 2" =約188cm | ||||||||||||||
体重: | 232 lb =約105.2kg | ||||||||||||||
経歴 | |||||||||||||||
大学 | シラキューズ大学 | ||||||||||||||
NFLドラフト | 1957年 / 1巡目全体6位 | ||||||||||||||
初出場年 | 1957年 | ||||||||||||||
初出場チーム | クリーブランド・ブラウンズ | ||||||||||||||
所属歴 | |||||||||||||||
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受賞歴・記録 | |||||||||||||||
NFL 通算成績 | |||||||||||||||
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Player stats at PFR | |||||||||||||||
経歴
プロ入りまで
父親はプロボクサーであった[2]。8歳の時にニューヨーク州マンハセットに移った。地元の高校に進学した彼はアメリカンフットボール、ラクロス、野球、バスケットボール、陸上競技を行った。アメリカンフットボールでは1回あたり14.9ヤードを走り、バスケットボールでは1試合平均38点というロングアイランドの高校記録を作った[3]。この記録は後にカール・ヤストレムスキーによって破られた。野球では投手を務めてノーヒットノーランを2度達成している[4]。
シラキューズ大学に進学し2年次、ラン獲得ヤードはチーム2番目となった。3年次には666ヤード(平均5.2ヤード)を走った。4年次には986ヤード(平均6.2ヤード)を走り14タッチダウンをあげた。ハイズマン賞の投票で彼は5位となった。コルゲート大学戦では197ヤードを走り6タッチダウンをあげると共にエクストラポイントも7本決めて43得点をあげチームは61-7で勝利した[4]。また大学時代にも彼はバスケットボールを1シーズンプレーし平均14得点、陸上競技では全米の大会で十種競技5位となった[4]。ラクロスでは全米ナンバー1の選手と評価された[4]。1957年のテキサスクリスチャン大学とのコットンボウルでも132ヤードを走り3タッチダウンをあげてエクストラポイントを3回成功させたが1回ブロックされ試合には27-28で敗れた[5]。バスケットボールでは2年次にチーム2番目の平均15得点、3年次には11.3得点をあげた。ラクロスでは3年次にオールアメリカンのセカンドチームに選出され、4年次には10試合で全米2位となる43ゴールをあげてオールアメリカンのファーストチームに選ばれた[6][7]。
プロフットボール選手時代
1957年のNFLドラフト1巡目全体6位でクリーブランド・ブラウンズに指名されて入団した。この年のNBAドラフトで彼はシラキューズ・ナショナルズからも指名されていた[8]。この年彼は1試合で237ヤードを走るという新人ラッシング記録を作り[9]、その記録は40年後にシンシナティ・ベンガルズのコーリー・ディロンが246ヤードを走るまで更新されなかった[10]。
2年目の1958年には1,527ヤードを走り、この年リーグ2位の選手は791ヤードしか走っておらず、大差をつけてのリーディングラッシャーであった[11]。
1961年11月19日の試合ではランで225ヤード、レシーブで50ヤード以上を獲得したが、同一試合でこの記録を達成したのは、その後2012年のジャマール・チャールズまで待つこととなった[12]。
1963年には1シーズンのNFLラッシング記録となる1,863ヤードを走った。また通算ラン獲得12,312ヤード、通算106ラッシングタッチダウン、通算126タッチダウン、通算オールパーパスヤード15,549はいずれも当時のNFL記録となった[13]。また最初に100ラッシングタッチダウンをあげた選手でもある。1978年以降NFLはシーズン16試合となったが彼の現役最初の4年間はシーズン12試合、その後5年間も14試合であった。100タッチダウン目は93試合目にあげた。この記録は2006年にラダニアン・トムリンソンが89試合目であげて破った。1958年から1961年、1964年と5シーズンでオールパーパスヤードリーグトップとなった。彼は1試合平均100ヤード以上を達成している唯一の選手にもなっている。レシーバーとしても優れ262回のレシーブで2,499ヤードを獲得、20タッチダウンをあげた。またキャリア9年間すべてでプロボウルに選出され[13]現役最後の試合となったプロボウルでは3タッチダウンをあげた。数々の記録を残して29歳で現役を引退した。最後のシーズンもリーグ2位のラッシング記録を残した。
1963年に記録した1,863ヤードは現在もクリーブランド・ブラウンズ記録となっている。これはNFL32チームのチーム記録中最古のものとなっている。
現役引退後
現役引退後は映画俳優となった。1964年に映画リオ・コンチョスで俳優としてデビューした彼は1967年の映画特攻大作戦の映画中で自身の引退表明のシーンを演じた。1969年の100挺のライフルではバート・レイノルズ、ラクエル・ウェルチと共演した。ウェルチは2002年にスパイク・リー監督のJim Brown: All-American[14]にも出演している。1974年のThree th Hard Way、1975年のTake a Hard Rideなどいくつもの作品で同じ元NFL選手のフレッド・ウィリアムソンと共演している。1998年のスモール・ソルジャーズでは声優として出演した。1987年にはバトルランナーに出演、エニイ・ギブン・サンデーではアメリカンフットボールのコーチを演じた。
TVドラマではナイトライダーの3シーズン、第1話目エピソード「強敵!赤い殺人カー」に凶悪脱獄犯C・J・ジャクソン役で登場している。
引退から17年後の1983年に彼の生涯記録を破ることが期待されたピッツバーグ・スティーラーズのフランコ・ハリスのプレースタイルに対して自分のように1ヤードでも多く獲得しようとタックラーに向かっていくスタイルと異なりすぐにアウト・オブ・バーンズに逃げたがると批判を浴びせた。1984年10月7日、シカゴ・ベアーズのウォルター・ペイトンによって彼の通算ラッシング記録は更新された。一方ハリスは1984年にシアトル・シーホークスに移籍し8試合に出場したがブラウンの記録更新には及ばなかった。その後スティーラーズでプレーしたジェローム・ベティス(プレースタイルはブラウンと似ていた)はブラウンの記録を超えている。
1989年に彼の自叙伝、「Out of Bounds」がゼブラブックスから発行された。1993年にはUFCの解説者に起用されペイ・パー・ビューの最初の6シリーズを担当した。
2008年に彼はソニーとEAスポーツに対してビデオゲームのマッデンNFLで彼の肖像権を無許可で使用されたと訴訟を起こした[15]。
2002年にアル・ラーナーブラウンズオーナーが死去した後、後を継いだランディー・ラーナーの経営スタイルを否定している[16]。
2010年、クリーブランド・ブラウンズのエクゼクティブ・アドバイザーを解任されたがラーナーオーナー一族とわだかまりはないことを明かしている[17]。
栄誉
1971年に彼はプロフットボール殿堂入りを果たした。また大学時代の活躍からカレッジフットボール殿堂入り、ラクロス殿堂入りも果たした。彼はNFLで118試合に出場し1試合平均104.3ヤードを獲得、平均5.2ヤードを稼いだ。1試合平均100ヤードを稼いだランニングバックは他におらず、例えばウォルター・ペイトンは1試合平均88ヤード、平均4・4ヤード、エミット・スミスは1試合平均81.2ヤード、平均4.2ヤードであった[18]。歴代ベスト10のラッシャーの内、彼に最も数字が近いのはバリー・サンダースであり1試合平均99.8ヤード、平均5.0ヤードを走った。なおサンダースの父親はブラウンを私が見たベストのランナーだと言っている[19]。
彼の背番号32はクリーブランド・ブラウンズの永久欠番となっている。
- ^ Football's 100 Greatest Players Archived 2009年12月7日, at the Wayback Machine. TSN
- ^ Jim Brown Biography (1936-)
- ^ "REMEMBER JIM BROWN, LACROSSE STAR?" マイアミ・ヘラルド 1983年11月25日
- ^ a b c d e HALL OF FAMERS カレッジフットボール殿堂
- ^ Cotton Bowl 1957 TCU 28 Syracuse 27
- ^ NATIONAL LACROSSE HALL OF FAME
- ^ IMAGINE JIM BROWN WITH LACROSSE STICK... AP通信 2005年5月20日
- ^ Draft Oddities NBA.com 2009年10月31日閲覧
- ^ “Jock Bio: Corey Dillon”. jockbio.com. 2011年2月7日閲覧。
- ^ “Corey Dillon Break's Single-Game Rushing Record”. football.about.com (2000年10月23日). 2011年2月7日閲覧。
- ^ “引退したLTはランクイン?RB歴代トップ10 -前編-”. NFL JAPAN (2012年6月19日). 2012年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月3日閲覧。
- ^ “開幕3連勝の立役者らが週間MVP -攻撃部門-”. NFL JAPAN (2012年9月27日). 2012年10月16日閲覧。
- ^ a b “Hall of Famers >> Jim Brown”. profootballhof.com. 2011年2月7日閲覧。
- ^ 他にもアート・モデルブラウンズオーナー、オリバー・ストーン、スチュアート・スコット、バーニー・ケイシー、ハンク・アーロン、ビル・ラッセル、フレッド・ウィリアムソン、ラクエル・ウェルチ、メルヴィン・ヴァン・ピーブルズ、ジョニー・コクラン、マイケル・ウィルボン、ジョー・フレージャーが出演した。
- ^ Football great Jim Brown suing EA, Sony Archived 2008年8月10日, at the Wayback Machine. 2009年10月31日閲覧
- ^ “ブラウンズ、チーム売却の噂を否定”. NFK JAPAN (2012年6月8日). 2012年6月25日閲覧。
- ^ “殿堂入りRBブラウン氏、役職剥奪もわだかまりなし”. NFL JAPAN (2010年6月7日). 2010年6月7日閲覧。
- ^ Career Rushing Yards Leaders PRO-FOOTBALL-REFERENCE.COM 2009年10月31日閲覧
- ^ Sanders' humility makes him distinctive ESPN Classic2009年10月31日閲覧
- 1 ジム・ブラウンとは
- 2 ジム・ブラウンの概要
- 3 社会活動
- 4 関連項目
固有名詞の分類
アメリカ合衆国の俳優 |
メグ・ライアン アンナ・ベルナップ ジム・ブラウン モーガン・リリー エド・ハリス |
NFL選手 |
ジェフ・フィーグルス レオン・ホワイト ジム・ブラウン ディック・バトカス アーニー・デービス |
プロボウル選出選手 |
マーション・リンチ ブライアン・アーラッカー ジム・ブラウン ディック・バトカス トム・ブレイディ |
クリーブランド・ブラウンズの選手 |
ジム・ブラウン アーニー・デービス ロン・シモンズ ブレイディ・クイン スコット・フジタ |
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