ジェームズ・シンプソン ジェームズ・シンプソンの概要

ジェームズ・シンプソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/28 14:54 UTC 版)

Sir James Young Simpson
ジェームズ・ヤング・シンプソン
生誕 1811年6月7日
バスゲイト、ウェスト・ロージアンスコットランド
死没 1870年5月6日
冠動脈血栓症
研究分野 産科学麻酔科学産科麻酔科学
出身校 エディンバラ大学
主な業績 クロロホルムによる無痛分娩、シンプソン鉗子敗血症の予防
影響を
受けた人物
ジョン・トムソン、デイビッド・ウォルディ
主な受賞歴 モンティヨン賞
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示
シンプソンの実験を描いた挿絵

生涯

実家は貧しいパン屋で、両親を早くに失ったが、兄サンディと姉メアリーに支えられ、エディンバラ大学に入学、1932年にM.D.の称号を得る[2]。8人兄弟の末っ子だったが14才で入学し、ラテン語ギリシア語数学哲学を学んでいる[3]。学生時代、麻酔無しの手術を目撃し、一度は医学の道を諦めるが、ジョン・トムソンの助手をしていたとき、産科を勧められ、異例の若さで講座を担当するようになった[2]

外科手術などへの全身麻酔技術としては、18世紀末にハンフリー・デービーが笑気ガス(亜酸化窒素)に麻酔作用のあることを示し、1804年に日本の華岡青洲チョウセンアサガオなどの生薬による麻酔を使った外科手術に成功している。アメリカ合衆国でクロウフォード・ロングウィリアム・T・G・モートンがエーテルによる麻酔法を開発し、1846年に公開実験に成功したが、エーテル気管支を刺激するなどの副作用があった。

モートンは1846年10月16日にエーテルによる麻酔に成功しており、シンプソンは1847年1月19日にエーテルを使用した出産に成功したが[4]、もっといいものがないかと、助手2人と共に自宅で様々なガスを試すことに熱中し、お隣のジェームズ・ミラー英語版教授は、毎朝みんなが生きているか見に行っていたという[2]1831年頃、アメリカ、フランス、ドイツで次々と発見されたクロロホルムのことを知っていたリンリスゴー出身のデイビッド・ウォルディは、シンプソンにこれを勧め、1847年11月4日、シンプソンらはその効果を確認した[5]。ウォルディは、シンプソンにクロロホルムを提供する約束をしたものの果たせなかったという[6][7]。そのため、シンプソンはエジンバラのダンカンとフロックハートから調達しており[6]、シンプソンの姪にも試している[8]

ミラー教授が腕の手術をする際、シンプソンがクロロホルムで麻酔をかけて成功すると、すぐに産科に取り入れ、初めてクロロホルム麻酔下で生まれた娘は、「Anaesthesia(麻酔)」と名付けられ、シンプソンは彼女を守護聖人と呼んだという[9]。11月10日、シンプソンは早速クロロホルムの麻酔効果について学会で発表した[9]

又婦に言たまひけるは我大に汝の懷姙の劬勞を増すべし汝は苦みて子を產ん
『舊新約聖書』より、『旧約聖書創世記3.16

12月10日の学会発表では50の成功例を挙げたが、道徳的にも宗教的にも、そして同業者からも非難を受けた[4]。保守的なロンドン医学会の反発は強く[1]、クロロホルムによる死亡例が増えるにつれ、安全性が疑問視されるようになったが、ジョン・スノーによって投与量が厳密に管理されるようになると[9]1853年4月7日、ヴィクトリア女王の出産に使用されたことで反対運動は下火となり、更にカンタベリー大主教の娘の出産にも利用されたことで、宗教界からの反発も収束したものの、ロンドンで認められたのは、実績を慎重に見極めた1867年になってからであった[10]

クロロホルム麻酔の使用例が増えるにつれ、心停止による死亡事故の例が報告されるようになった。巻き爪手術を受けた少女にシンプソンがクロロホルムを投与し死亡事故が起きた際、クロロホルムが死亡原因として指摘されたが、シンプソンは自分自身で安全性は証明済みとして指摘を退けた[11]。しかし、調査によってエーテルに比べてクロロホルムを使用した手術の死亡率が4.5倍も高い事が明らかになると、麻酔薬はエーテルや笑気ガスに回帰していった。シンプソンはクロロホルム支持の立場を頑なに維持したが、新しい麻酔剤を発見するための自己実験を行い続けて健康を損ない、1870年に死亡した[12]。死因は冠動脈血栓症、59歳だったが、クロロホルム麻酔以外にも、ホメオパシーホスピタリズムなどに興味を持ち、消毒には反対していたが、敗血症の予防のため、結紮に絹糸を使用しないよう呼びかけた[13]。産科医として、シンプソン鉗子を考案し[14]、吸引分娩の概念を考え出した[15]

クロロホルムは現在は麻酔薬として使用されなくなっている。医療目的でのクロロホルムの使用を原因として、10万人以上が死亡したと推定されている[12]


  1. ^ a b Waserman 1980, p. 158.
  2. ^ a b c Guthrie 1947, p. 701.
  3. ^ Donald 1977, p. 555.
  4. ^ a b Donald 1977, p. 556.
  5. ^ Guthrie 1947, pp. 701–702.
  6. ^ a b BMJ 1912, p. 1861.
  7. ^ AGNEW 1960, pp. 422–423.
  8. ^ H. Laing Gordon, Sir James Young Simpson and Chloroform CHAPTER VI http://www.gutenberg.org/ebooks/34128 https://books.google.co.jp/books?id=pYer05UwKBYC&redir_esc=y&hl=ja
  9. ^ a b c Guthrie 1947, p. 702.
  10. ^ Waserman 1980, p. 161.
  11. ^ ノートン 2016, p. 52.
  12. ^ a b ノートン 2016, p. 53.
  13. ^ Guthrie 1947, p. 703.
  14. ^ Speert 1957, p. 744.
  15. ^ Donald 1977, p. 557.


「ジェームズ・シンプソン」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ジェームズ・シンプソン」の関連用語

ジェームズ・シンプソンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ジェームズ・シンプソンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのジェームズ・シンプソン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS