ザ・スターリン 概要

ザ・スターリン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 09:15 UTC 版)

概要

ボーカルの遠藤ミチロウを中心に1979年に結成されたバンド、「自閉体」を母体として1980年結成。同年9月5日に1stシングル「電動こけし/肉」をインディーズレーベルからリリース。その後1982年にアルバム『STOP JAP』で徳間音楽工業よりメジャー・デビュー。3枚のアルバムをリリースした後に1985年解散。その後もビデオのみをリリースするというコンセプトの「ビデオ・スターリン」や、定冠詞の付かない「スターリン」というバンド名で復活している。

バンド名の由来はソ連最高指導者ヨシフ・スターリンからとっており、ボーカルの遠藤曰く「世界で最も嫌われている男の名前をつけたらすぐに覚えてもらえる」、「外国(東ヨーロッパ)に行くつもりだった」[2]という理由で付けられた。また「スターリンとはバンド名ではない。俺の活動そのもののことだ」とも遠藤は語っている。

同時期にデビューしたJAGATARAINUなどと並んで日本のパンク・ロックハードコア・パンクシーンで活動していた。ラモーンズ直系の8ビートにG.B.H.のような攻撃的なハードコア・サウンドを組み合わせた曲調と、言葉遊びを織り交ぜた皮肉を込めた表現の歌詞が特徴だった。ライブ会場では同時期に対バンなどをしていたじゃがたらの影響を受け[3]、ボーカルの遠藤が鳩の死骸や豚の頭・臓物を客席に投げつけ、爆竹や花火を投げ込み、全裸でステージから放尿するといった過激なパフォーマンスで話題性を呼んだ。東京のライブハウス「屋根裏」を破壊し出入り禁止になったことや、とある高校の文化祭でゲリラ的にライブを行った時に遠藤が全裸になり逮捕された事もある。

そうしたスキャンダラスな行為が評判となり、1981年9月に週刊誌女性自身』にザ・スターリンの記事が掲載され、マスコミに取り上げられるようになる。ザ・スターリンが他のバンドと違ったのは自ら積極的に雑誌やテレビなどのメディアを利用し、活動をアピールしてきた所であり、音楽・芸能問わず数々のメディアに登場していた。その一方で一部の暴力的なハードコア・パンクス達からは積極的にメディアを利用した宣伝を行い、「知的なパンク」を演奏するスターリンは異端児の様な扱いを受け、嫌われるという事もあった。

メジャー・デビュー後は、アルバムがオリコンチャートの上位に食い込むなど売上においても一定の成功を収める。しかし結成当初よりメンバーが安定せず、メンバーチェンジを繰り返しながら活動していた。デビュー時のメンバーがほとんど脱退したこと、前述の過激なパフォーマンスや破壊活動が行われる事を危惧した全国のライブハウスやホールから徹底的に締め出されたことでライブ活動が困難になり、1985年2月21日大映スタジオでのライブを最後に解散する。

その後遠藤はソロ活動を行っていたが、1987年ビデオのみをリリースするというコンセプトで、オーディションにより選出されたプロ経験の無い3名のメンバーを迎えビデオ・スターリンを結成。ザ・スターリンの曲をカバーし2本のビデオ作品を発表したが、その後アルバムを1枚リリースし、1年ほどで解散する。

1989年、再びザ・スターリンを結成しようとした遠藤は、自閉体時代からザ・スターリン解散までバンドメンバーであった乾純に声を掛けようとした。しかし乾と連絡が取れなかったことから、ルースターズローザ・ルクセンブルグに所属していた三原重夫を中心に、「THE LIPS」というバンドで活動していた山盛愛彦や、かつて遠藤が1987年に短い期間結成していたバンド「パラノイア・スター」に参加していた西村雄介を新たなメンバーとして迎え、定冠詞なしのスターリンとして復活。シングル「包丁とマンジュウ」、アルバム『JOY』にてアルファレコードよりリリース。再結成に伴い、レコード会社やファンの間ではかつての過激なパフォーマンスが望まれていたが、遠藤やその他のメンバーはそれには応じず、独自のスタイルで活動した。しかし、話題性・売上ともにザ・スターリン時代には及ばず、6枚のシングル・アルバム、2本のビデオをリリースするも、1992年12月14日原宿ルイードでのライブを最後に活動停止し、翌1993年に解散した。その後は、遠藤主催のライブイベント等で、都度異なるメンバーで一夜限りの再結成をしている。


  1. ^ a b c The Stalin reviews, music, news”. sputnikmusic. Sputnikmusic.com. 2016年8月27日閲覧。
  2. ^ 「第二期【1982年1月 - 1983年6月】掲載誌のキャッチ ★17ポップティーンのスターリン」『ザ・スターリン伝説』マガジン・ファイブ、2004年11月9日、103頁。ISBN 4434047906 
  3. ^ 筋肉少女帯の深夜改造計画 1989年11月20日放送分
  4. ^ a b 藤岡 良次雄、無事に退院しております!”. 『BEATIFIX』公式ブログ. 2020年10月3日閲覧。
  5. ^ 「第二期【1982年1月 - 1983年6月】掲載誌のキャッチ ★20俺たち金が欲しいですよ。スターリンのレコードがもっと売れてほしい…。」『ザ・スターリン伝説』マガジン・ファイブ、2004年11月9日、120頁。ISBN 4434047906 
  6. ^ a b アルバム『STOP JAP NAKED』ライナーノーツより
  7. ^ 「第二期【1982年1月 - 1983年6月】掲載誌のキャッチ ★15いま若者が熱狂する「ザ・スターリン」てナンだ!?」『ザ・スターリン伝説』マガジン・ファイブ、2004年11月9日、97頁。ISBN 4434047906 
  8. ^ オリコンチャートによる最高順位を参照。






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