サッカーバーレーン代表 歴史

サッカーバーレーン代表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/04 08:27 UTC 版)

歴史

1959年のバーレーン代表

バーレーン代表の誕生

バーレーン代表は1959年に結成されたが、最初の公式戦は1966年の国際親善試合・クウェート戦で、4-4のドローであった。1957年に設立されたバーレーンサッカー協会の元、国内でのサッカー発展を目指していたがアラブ地域ではサウジアラビアカタールUAEなどに劣る弱小国と見なされていた。

1988年、AFCアジアカップ1988・予選を勝ち抜き、初めてAFCアジアカップへの出場権を手にした。 本大会では2分2敗、最下位でのグループリーグ敗退だった。

アジアでの台頭

アジアカップ2000年大会は惜しくも予選敗退となったが、2002 FIFAワールドカップ・アジア予選では1次予選を突破し初めて最終予選に進出した。どちらも本大会出場権獲得には至らなかったが、イランに対しアジアカップ予選では1-0で、W杯予選では3-1で共に勝利している[1]

AFCアジアカップ2004

2回目の出場となったAFCアジアカップ2004中国開催)で大躍進を遂げた。グループステージは開催国中国、隣国カタール、インドネシアが入る組み合わせとなり、中国とカタールにはそれぞれ2-2、1-1での引き分け、インドネシアには3-1で勝利した。その結果1勝2分のグループ2位となり初めて決勝トーナメントに進出した[2]

決勝Tでは準々決勝でウズベキスタンPK戦の末下す[3]と、準決勝では前回大会優勝の日本を追い詰めたが3-4で敗北した[4]。3位決定戦でもイランに2-4で敗れたが2回目の出場にして4位という成績を収めた[5]

2006 W杯

2006 FIFAワールドカップ・アジア最終予選・グループBを4カ国中3位で終え、グループA3位のウズベキスタンとの5位決定戦に出場することになった。ホーム・アンド・アウェー方式で合計スコアは1-1であったが、アウェーゴール方式によりこれに勝利。CONCACAF代表のトリニダード・トバゴとの大陸間プレーオフに進んだ。しかし、敵地での第1戦を1-1のドローで終えると、勝てば突破となるホームでの第2戦を0-1で落としたため合計スコア1-2で本大会初出場を逃した。

AFCプレーオフ(アジア5位決定戦)
チーム#1 合計スコア チーム#2 第1戦 第2戦
ウズベキスタン  1–1 (a)  バーレーン 1-1 0-0
大陸間プレーオフ(AFC代表vsCONCACAF代表)
バーレーン  1–2  トリニダード・トバゴ 1-1 0-1

AFCアジアカップ2007

AFCアジアカップ2007では、インドネシア、韓国、サウジアラビアが入るグループDに振り分けられた。格上となる韓国は下したが、インドネシア、サウジアラビアには敗れ、1勝2敗のグループ最下位での敗退となった。

2010 W杯

2009年6月10日 バーレーン代表対オーストラリア代表(2010 ワールドカップ予選)

2010 FIFAワールドカップ・アジア予選3次予選から参加。3次予選は日本、オマーンタイが入るグループBとなりホームで日本に勝利する[6]などグループ2位で最終予選進出を決めた。 最終予選は5カ国中3位となり前回大会予選と同様にAFCプレーオフに出場することになった。AFCプレーオフでは、サウジアラビアと対戦。2戦合計は2-2だったものの、アウェーゴールで上回り勝利した(詳細は後述)。

勝てば本大会南アフリカ開催)出場となる大陸間プレーオフでは、OFC代表のニュージーランドと対戦。 ホームの第1戦をスコアレスドローで終え、敵地ウェリントンでの第2戦に臨んだ。前半、コーナーキックからニュージーランドが先制。対して、バーレーンも後半にペナルティーキックを獲得した。決めれば同点となり、そのまま試合終了となればまたもやアウェーゴール数の差でバーレーンがW杯出場を決めるはずであった。ところが、これをゴールキーパーに止められ、そのまま試合終了。前回大会予選に続き、2大会連続で大陸間プレーオフ敗退となった。

5次予選(AFCプレーオフ)
チーム#1 合計スコア チーム#2 第1戦 第2戦
バーレーン  (a) 2–2  サウジアラビア 0-0 2-2
大陸間プレーオフ(AFC代表vsOFC代表)
バーレーン  0–1  ニュージーランド 0-0 0–1

近年のバーレーン代表

その後2014年大会アジア予選では3次予選で敗退、2018年大会アジア予選でも組み合わせ抽選の際はポット2に属していたが、ウズベキスタン北朝鮮フィリピンの後塵を拝し敗退するなど2010年以降低迷が続いた。しかし、2019年に西アジアサッカー選手権ガルフカップで立て続けに初優勝を飾るなど、近年は上昇基調にある。

リヤドの奇跡

ミラン・マチャラに率いられたバーレーン代表は2010 FIFAワールドカップ・アジア予選で、前回に続いてアジア5位決定戦に進出し、サウジアラビアと対戦した。バーレーンのホームの第1戦をスコアレスドローで終えた後、敵地リヤドでの第2戦は1-1のまま、ロスタイム(3分の表示)に突入した。このままのスコアならば、アウェーゴール数の差でバーレーンがアジア5位となる状況だったが、ロスタイム残り1分でサウジアラビアが勝ち越しゴール。時間は残り1分を切りバーレーンは予選敗退の危機だったが、コーナーキックからヘディングシュートを決め、再び同点。直後に試合終了となるこの劇的な同点ゴールにより、バーレーンはアウェーゴール数の差でアジア5位を決めた。


  1. ^ History of Iran vs. Bahrain | TeamMelli”. 2015年1月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  2. ^ asahi.com : スポーツ サッカー日本代表:アジアカップ2004”. www.asahi.com. 2023年12月24日閲覧。
  3. ^ 2004年アジア杯準決勝、奇跡の逆転勝利をもたらした宮本恒靖の独断”. 集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva (2019年1月23日). 2023年12月24日閲覧。
  4. ^ asahi.com : スポーツ サッカー日本代表:アジアカップ2004”. www.asahi.com. 2023年12月24日閲覧。
  5. ^ asahi.com : スポーツ サッカー日本代表:アジアカップ2004”. www.asahi.com. 2023年12月24日閲覧。
  6. ^ 南アフリカW杯アジア3次予選 VS.バーレーン(木ノ原句望)”. Number Web - ナンバー. 2024年1月27日閲覧。





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