ゲーデルの不完全性定理 不完全性定理によるヒルベルト・プログラムの発展

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ゲーデルの不完全性定理

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 09:31 UTC 版)

不完全性定理によるヒルベルト・プログラムの発展

フランセーンによれば、数学者ダヴィット・ヒルベルトは「数学に“イグノラビムス(ignorabimus, 永遠に知られないこと)”はない」と述べた[17]。数学上に不可知は無く、全ての問題は最終的に解決されるというヒルベルトのこの見方は、「ノン・イグノラビムス」として知られている[18]。ゲーデルの不完全性定理は、「決してこのヒルベルトの楽天的な見方を否定するものではない」とされている[18]。何故なら、不完全性定理によって否定されたものとは単に、「ノン・イグノラビムス」へ到達する手段の一つとしてヒルベルトが提案したもの ―― すなわち、「すべての数学の問題が解けるような単一の形式体系」 ―― であり、「ノン・イグノラビムス」自体は否定されていないからである[19]

実際ゲーデル自身は以下のような、「ノン・イグノラビムス」的なヒルベルト流の見解を持っていた[20]

「あらゆる算術の問題をその中で解決する単一の形式体系を定めることは不可能であっても、
新しい公理や推論規則による数学の拡張が限りなく続いていくなかで、どんな算術の問題もいずれどこかで決定されるという可能性は排除されていない。」[20]

こうした見解に基づき、ゲーデルは現代数学を拡張する手段として「巨大基数公理」を提案した[21]。哲学等において「不完全性定理がヒルベルトのプログラムを破壊した」という類の発言がよくあるが、これは実際の不完全性定理やゲーデルの見解とは異なる[11]。正確に言えば、ヒルベルトの目的(数学の「無矛盾性証明」)を実現するには手段(ヒルベルト・プログラム)を拡張する必要がある、ということをゲーデルが不完全性定理を通して示したのだった[11]

菊池誠の『不完全性定理』によるとヒルベルトは、「ゲーデルの結果により証明論が実行不可能となったという見解は間違いであり,それは有限の立場の拡張が必要であることが判明しただけだ」と述べている[13]。ゲーデルも不完全性定理の論文の中で、この定理とヒルベルト・プログラムとの関係を取り上げて、不完全性定理は「Hilbert〔ヒルベルト〕の形式主義的な視点とまったく矛盾しない」、と注意を書いている[13]

日本数学会が編集した『岩波 数学辞典』第4版では、不完全性定理について次の通り記述されている[5]

「ゲーデルも書いているように,有限の立場は特定の演繹体系として規定されるものではないから,彼の結果はヒルベルトの企図を直接否定するものではなく,実際この定理の発見後に無矛盾性証明のための様々な方法論が開発されている.」[5]

述語論理式を自然数論の体系内に構成し、証明を形式的に進めるために、ゲーデルはゲーデル数化という操作を導入した。自由変数、論理式、証明図などを自然数でコード化し証明可能、反証可能などの概念を数論的関数として表現する。このように、論理式や証明を数学的に表現して数学内に埋め込む上記の手法は、数学そのものを分析する「超数学(メタ数学)」を、分析すべき数学の中に写像する技法の先駆けであり、その後数学基礎論理論計算機科学でよく用いられるようになる。


注釈

  1. ^ 原文:数学の基礎をめぐる論争の実質的な勝者が形式主義である … .不完全性定理は数学そのものについての定理ではなく,「形式化された数学」に関する定理であり,形式主義的な数学観についての定理である.[4]
  2. ^ 原文:ゲーデルの不完全性定理は有限の立場(形式主義)で数学の無矛盾性を証明することはできないことを示した.ゲンツェン(Gentzen)は,有限の立場より緩い制限のもとで自然数論の無矛盾性を証明した.[3]
  3. ^
  4. ^
  5. ^
  6. ^ 歴史的には論理式のゲーデル数化の概念が先に生まれ、後にコンピュータがデータを数値で表すようになった。なお、ゲーデル自身は、素因数分解の一意性を利用して論理式のゲーデル数化を実現している。
  7. ^ 実際、が証明可能ならの証明系列が存在するので、論理式の列のゲーデル数をとすると、「Proof」が証明可能、したがって特に「」=「」が証明可能。一方我々は「」が証明可能な事を仮定していたので、これは矛盾である。
  8. ^ ω無矛盾とはが証明できれば、を満たす自然数が実際に存在することを指す。定義より「」は「」であった。ω無矛盾性より、「」を満たす自然数が実際に存在し、をゲーデル数に持つ論理式の列がの証明系列になる。
  9. ^ 訳注:自己言及的でないこと。
  10. ^ 訳注:この場合の「帰納的可算」とは、すべての定理のゲーデル数を枚挙する計算可能関数が存在する(実効的に枚挙可能)ことを意味する。クレイグのトリックによれば、このことは定理集合が帰納的な公理系から生成される(演繹閉包である)ことと同値である。
  11. ^
    数学基礎論と不完全性定理


    数学の正しさには一分の隙もなく,数学では矛盾する二つの結論が導かれることは決して無いと昔から信じられている. … そもそも「信じられている」という言葉を使うことは不適切であり,不謹慎でさえあるかも知れない.

    この数学の正しさと無矛盾性に対する確信が揺らいだことがかつて一度だけあった. … 19世紀末から20世紀初めにかけて数学の中で次々と逆理が発見された.正しさは数学の絶対的な規範であり,たとえ一ヵ所にでも亀裂が入れば数学の世界全体は粉々に砕けてしまう.[23]
    この数学の基礎に関する「不安の時代」には … 果たして数学は正しく無矛盾なのか,そもそも定理や証明とは何なのかといった哲学的な問題に対して,伝統的な哲学的手法によってではなく,数学的手法を用いて答えようとする形式主義の試みの中から数学基礎論と呼ばれる数学の一分野が生まれた.[25]

  12. ^
    宴のあと


    数学の危機が真面目に論じられていた「不安の時代〔19世紀末~20世紀初頭〕」は意外に簡単に終わった.現在,数学の基礎を本気で心配している数学者はまずいない. … 「不安の時代」が通り過ぎた後,数学基礎論は哲学と袂を分かち,独自の数学的な問題意識や価値観を見出した.数学基礎論の専門家は「哲学的な動機のもとで数学基礎論を語る時代は終わった」と考えるようになり … 数字基礎論は普通の数学に生まれ変わった.

    不完全性定理についても数学基礎論の専門家の間では,哲学的な意義よりも様々な数学的応用可能性のほうが大切であると考えられるようになった.
    電子技術の爆発的な発展と共に成長した計算機の基礎理論においても不完全性定理は重要な基本定理の一つであるが,そこでも不完全性定理は定理の主張そのものよりも,定理の証明の中で提案され用いられた様々な考え万や,不完全性定理から導かれる事実のほうが遥かに重要であると考えられているであろう.[2]

  13. ^

    数学と哲学

    20世紀初頭の数学の基礎に関する「不安の時代」には,数学者と哲学者は共に数学の基礎について論じていた.
    それが今では数学者と哲学者は極めて疎遠である.数学者,特に数学基礎論の専門家は哲学者による数学の基礎についての議論を最近の数学を無視した色褪せた100年前の論争の焼き直しに過ぎないと感じ,哲学者は最近の数学としての数学基礎論の進展を重箱の隅をつつくような技術的で瑣末な話題だと考えている.[26]

    数学基礎論が哲学との繋がりを失ったことを知らない数学者は今でも数学基礎論のことを「哲学のようなもの」と考えている. … この,数学基礎論が「哲学のようなもの」であるという考えは,「哲学のような深い立派なもの」ではなく,「哲学のようなツマラナイコト」という意味であるため,このような考えを「他愛ない無邪気なもの」とは見過ごせない数学基礎論の専門家は,数学基礎論が哲学ではなく数学であることの説得を,何度となく試みてきた.[27]

  14. ^ フランセーンはストックホルム大学哲学を専攻し、1987年に「Ph.D.(哲学)」を取得[7]ルレオ工科大学でのフランセーンのページによると、「(哲学における)自分の博士論文 “my PhD thesis (in philosophy)”」は世界各国の大学図書館で閲覧できる[28]

出典

  1. ^ 青本 et al. 2005, p. 510.
  2. ^ a b c d e 菊池 2014, p. iii.
  3. ^ a b c d 青本 et al. 2005, p. 294.
  4. ^ a b 菊池 2014, p. 9.
  5. ^ a b c d e f g 日本数学会(編) 2011, p. 357.
  6. ^ 菊池 2014, pp. ii–iii.
  7. ^ a b c d フランセーン 2011, p. 奥付け.
  8. ^ a b c d e f g h フランセーン 2011, p. 230.
  9. ^ a b c フランセーン 2011, p. 145.
  10. ^ フランセーン 2011, p. 4, 7, 126-127.
  11. ^ a b c d フランセーン 2011, p. 54.
  12. ^ 菊池 2014, p. 5.
  13. ^ a b c 菊池 2014, p. 248.
  14. ^ 照井一成 (2018年). “数理論理学 II (不完全性定理)” (PDF). 2023年4月6日閲覧。
  15. ^ 青本 et al. 2005, p. 116.
  16. ^ a b 日本数学会(編) 2011, p. 355.
  17. ^ フランセーン 2011, pp. 21–22.
  18. ^ a b フランセーン 2011, p. 22.
  19. ^ フランセーン 2011, pp. 22–23.
  20. ^ a b フランセーン 2011, p. 47.
  21. ^ フランセーン 2011, pp. 47–48.
  22. ^ 菊池 2014, p. 奥付け.
  23. ^ a b 菊池 2014, p. i.
  24. ^ 菊池 2014, pp. i–ii.
  25. ^ a b c 菊池 2014, p. ii.
  26. ^ a b c 菊池 2014, p. 11.
  27. ^ a b 菊池 2014, pp. 11–12.
  28. ^ a b Franzén 2008, p. Torkel Franzén.
  29. ^ a b c d フランセーン 2011, p. 9.
  30. ^ a b c d フランセーン 2011, p. 10.
  31. ^ a b c d e f フランセーン 2011, p. 4.
  32. ^ a b c フランセーン 2011, p. 229.
  33. ^ フランセーン 2011, pp. 3–4.
  34. ^ フランセーン 2011, pp. 230–231.
  35. ^ a b c d フランセーン 2011, p. 231.
  36. ^ フランセーン 2011, pp. 125–126.
  37. ^ a b c d e f フランセーン 2011, p. 126.
  38. ^ ソーカル & ブリクモン 2012, p. 262.
  39. ^ a b c フランセーン 2011, p. 233.
  40. ^ フランセーン 2011, p. 107.
  41. ^ a b フランセーン 2011, p. 108.
  42. ^ フランセーン 2011, pp. 108–109.
  43. ^ フランセーン 2011, pp. 112–113.
  44. ^ a b c d フランセーン 2011, p. 120.
  45. ^ a b c d フランセーン 2011, p. 7.
  46. ^ フランセーン 2011, p. 127.
  47. ^ フランセーン 2011, p. 128.
  48. ^ a b フランセーン 2011, p. 131.
  49. ^ フランセーン 2011, pp. 131–132.
  50. ^ a b フランセーン 2011, p. 132.
  51. ^ a b c d e フランセーン 2011, p. 234.
  52. ^ フランセーン 2011, pp. 234–235.






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