キッチンジロー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/07 00:40 UTC 版)
概要
1964年(昭和39年)、小林二郎が東京都千代田区神田神保町にて、自身の名前を店名に採用した「キッチンジロー」を創業[4]。
創業当時より都心のサラリーマン・学生をターゲットとし、都心部でのイートイン・デリバリー・テイクアウトでのハンバーグ・帆立クリームコロッケ・から揚げなどの定番人気メニューを中心として扱った定食メニューを得意としたレストランを運営[5]。オフィス街でのデリバリー配達は、小回りの利く自転車を使い、広範囲の配送エリアを届けているたが現在はオートバイも使用している。
自社柏工場(セントラルキッチン)でハンバーグ用合挽きを製造し、店舗へ配送。店のコックがパティに成型しながら空気抜きの仕上げし、注文を受けてからをパン粉を付けて揚げる[6]。
最盛期の1996年には、直営店27店舗、フランチャイズ店27店舗の規模であったが、その後、店舗数を減少させた[4]。
2018年2月に、九州地方を中心にファミリーレストラン「ジョイフル」をチェーン展開する株式会社ジョイフルの子会社となった[3]。同年10月に、新虎ノ門店を昼は洋食レストラン「キッチンジロー」、夜はバル「ほろよいジロー」として営業する二毛作業態にリニューアル[7]。2019年2月には同業態の芝大門店、6月に渋谷店を出店しており、今後この業態への転換を進めていく方針であった[8]。
2020年9月3日、洋食レストラン「キッチンジロー」の15店舗中13店舗を30日に閉店すると発表。9月30日で閉店する店舗は、南神保町店、錦町店、神田鍛冶町店、外神田店、ニュー新橋店、新虎ノ門店、シーバンス浜松町店、芝大門店、アトレヴィ巣鴨店、渋谷店、深川ギャザリア店、ペディ汐留店、OBPツイン21店。残りの2店舗である九段下店、中之島フェスティバルプラザ店は10月以降も営業を続ける[9]。
2023年7月1日付でジョイフルへ吸収合併され、キッチンジローは解散[2][10]。同日以降はジョイフル直轄による運営となった。
- ^ a b c “会社概要”. 株式会社キッチンジロー. 2020年3月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 完全子会社の吸収合併及び債権放棄に関するお知らせジョイフル 2023年5月15日
- ^ a b “令和元年6月期 有価証券報告書”. 株式会社ジョイフル. 2020年3月15日閲覧。
- ^ a b “おしゃれに洋食、人気回復へ店内刷新 「キッチンジロー」”. 朝日新聞・東京朝刊・東京: p. 35. (2002年9月20日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ “食へのこだわり”. 株式会社キッチンジロー. 2019年8月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月15日閲覧。
- ^ “ニュース&トピックス”. 株式会社キッチンジロー. 2020年3月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月15日閲覧。
- ^ “キッチンジロー&ほろよいジロー渋谷店オープン”. 株式会社ジョイフル (2019年6月13日). 2020年3月15日閲覧。
- ^ [1]
- ^ ジョイフル、完全子会社のキッチンジローを吸収合併へ日本M&Aセンター 2023年5月15日
- ^ “玉ジローについて”. 株式会社玉ジロー. 2020年3月15日閲覧。
- ^ “沿革”. 株式会社玉ジロー. 2020年3月15日閲覧。
固有名詞の分類
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