キッズコンピュータ・ピコ
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歴史
1993年6月26日[1]に日本国内向けとして発売。1990年代前半には子供向けのワープロや電子手帳などの電子玩具が多数発売されたが、テレビでのお絵かき遊びを目的としたコンピュータ玩具もその1つに数えられる。セガはピコの発売以前にも知育コンピューター部署は「セガAIコンピュータ」を販売しており、それなりのノウハウを積んでいた。他社ではソニーによるマイファーストソニーシリーズのグラフィックコンピュータ、コナミのピクノなどが存在した。
ピコはこれら類似機器の中では後発となったが、前機種「セガAIコンピュータ」の後継機として遊びだけでなく勉強目的の利用を強調し、対象年齢を就学前の幼児から小学生低学年程度までと絞ることで一般のゲーム機とは異なる新たな層を開拓した。ソフトは内蔵せず取り替え式とし、テレビアニメや特撮テレビ番組に登場する子供にも親しみやすい人気キャラクターを採用し簡単なゲームを挿入するなど、遊びと教育を融合させた「エデュテインメント」の概念を盛り込み勉強を意識させない作りとした。
発売8周年となった2001年6月1日には、基本性能はそのままに省スペース化やデザインの変更などの改良を行った新型機を発売すると共に、機器名称をキッズコミュニケーション・ピコに改めた。さらに機器マークも長年使用された切手のような縁取りがされた長方形のデザインから地球儀を模した丸いデザインに変更した。このリニューアルと同時に、ピコを利用したインターネット接続サービス「ピコタウン」を開始し専用接続ソフトを発売した[3]が、セガトイズはピコの機器性能では通信技術の進歩に対応できないとし、2002年12月26日でサービスを終えた。
セガトイズはセガがドリームキャストを最後に家庭用ゲーム機事業から撤退した後もピコ本体と新作ソフトの供給を続けたが、2005年4月発売の『甲虫王者ムシキング あつめてあそぼう甲虫図鑑』を最後に新作ソフトの供給を終了した。同年8月には表現能力を向上させ、より幅広い年齢層への普及を図った後継機アドバンスピコ・ビーナを発売し、急速に移行を推し進めた。新作ソフトウェアの供給期間は、日本国内のセガのハードウェアでは最も長い約12年間となり、本体の累計出荷台数は約340万台に達した[2]。
2005年の本体販売終了後も「セガトイズお客様センター」にて修理などのアフターサービスやACアダプターやタッチペンなどの部品販売を行っていたが、2010年10月29日をもって全てのサポートを終了した。
- ^ a b c 「ファミ通エクスプレス "ピコ"といっても紅茶じゃないぞッ! セガが幼児向けコンピューターを発売」『週刊ファミコン通信』第8巻第24号(1993年6月11日号)、アスキー、11ページ。
- ^ a b セガトイズ (2005年4月5日). “食育、安全などの“五育”を取り入れ、エデュテイメント事業を推進「遊びながら学ぶ」が進化する『Advanced PICO BeenaTM』(アドバンスピコ ビーナTM)8月発売” (PDF). 2009年10月25日閲覧。
- ^ GAME Watch編集部 船津稔 (2001年3月19日). “セガ トイズ、インターネットに接続で知育玩具「ピコタウンへでかけよう!」”. 2009年12月6日閲覧。
- ^ ITmedia mobile編集部 鈴木晴代 & 江戸川 (2002年11月29日). “Mobile for KIDS第7回 ハイテクおもちゃの人気NO.1「ピコ」、人気の秘密”. 2020年2月26日閲覧。
- ^ a b 「ファミ通エクスプレス ヤマハの音楽知育遊具"コペラ"登場 あれっ、どこかで見たような……!?」『週刊ファミコン通信』第8巻第40号(1993年10月1日号)、アスキー、11ページ。
- ^ クッキングピコの外箱などに明記。
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