カルロス・バイエガ 経歴

カルロス・バイエガ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/03 05:23 UTC 版)

経歴

幼少期はプエルトリコ・リーグのサントゥルーセ・クラバーズの選手になることを夢みていたバイエガは、16歳の時にサンディエゴ・パドレスと契約する。

マイナーリーグ時代は、打撃面では好成績を残す一方、二塁・三塁・遊撃守備では毎年30失策前後と不安が残っていた。1989年のオフには、強打者ジョー・カーターとのトレードサンディー・アロマー・ジュニア、クリス・ジェームスと共にクリーブランド・インディアンスに移籍する。

インディアンス時代

1990年マイナーリーグAAA級で開幕をむかえたが、12試合で打率.380の成績で4月12日にメジャー初昇格、最も頼りになる代打となった[1] この年は三塁手・遊撃手として出場する。

1991年には三塁手・二塁手として158試合に出場しレギュラーの座をつかんだ。

1992年アルバート・ベルに次ぐチーム2位の20本塁打、105打点を記録し中軸選手に成長し、初めてオールスターに選出、オフに開催された日米野球MLB選抜として来日した。

1993年はチーム1位の打率.321、本塁打・打点は前年に引き続きベルに次ぐ2位で、初のシルバースラッガー賞にも選ばれた。また4月8日の対ニューヨーク・ヤンキース戦では、MLB史上初の1イニング左右打席本塁打も記録している[2]。この記録は、他には2002年マーク・ベルホーン2012年ケンドリス・モラレスだけである。2年連続の200安打・20本塁打・100打点は、1922年ロジャース・ホーンスビー以来の記録となった[3]

1994年1994年から1995年のMLBストライキの影響で103試合の出場にとどまったが、19本塁打、80打点を記録。

1995年にはチームのア・リーグ中地区優勝に貢献、リーグチャンピオンシップシリーズでは打率.400と活躍したが、2勝4敗で敗れたアトランタ・ブレーブスとのワールドシリーズでは最終打者になった。好成績は残していたものの、しばしばベスト体重をオーバーし、練習中にも携帯電話を使うなど、首脳陣は問題視していた[1]

1996年のシーズン中にインディアンスの抑え投手ホセ・メサの妻と浮気をしているとの噂が流れた際、メサは「彼が(チームから)出て行くか、もしくは自分が出て行くかだ」と語り、後の放出に繋がった[3]

メッツ時代

1996年7月26日、ジェフ・ケントホセ・ビスカイーノとのトレードでアルバロ・エスピノーザと共にニューヨーク・メッツへ移籍する。メッツでは主に1・3番を打ったが[3]、移籍後の打率は.193にとどまった。

1997年は、脇腹の故障の影響で右打席には立たず[1]1998年も故障の影響などで成績が残せず、シーズン終了後の10月28日には再契約を提示されず、フリーエージェントとなった。

現役晩年

1999年の1月にセントルイス・カージナルスと契約するが開幕前に解雇され、3月末にシンシナティ・レッズと契約する。開幕をAAAでむかえ、打率.290を記録していたが6月4日に解雇され、パドレスに移籍する。AAAでの調整後パドレスに昇格し、二塁・三塁の控え選手として出場していたが、8月16日に3年ぶりにインディアンスに移籍する。ファンに愛されていたバイエガはスタンディングオベーションでむかえられた[1]

2000年タンパベイ・デビルレイズと契約するものの、開幕前に契約が無効となり1シーズンプレーをしなかった。

2001年シアトル・マリナーズと契約するものの開幕前に解雇され、独立リーグであるアトランティックリーグロングアイランド・ダックスでプレー。7月には故障により退団した元阪神ベン・リベラの代役として韓国プロ野球三星ライオンズに入団した。この年は「インディアンスの偉大な選手100人」にも選ばれた[3]。シーズン後にはクラバーズを買収、選手兼監督となり幼少期の夢をかなえた。

メジャーからの引退を決意していたが、12月にボストン・レッドソックスと契約し、2002年は控えの二塁手・指名打者として出場した。

2003年アリゾナ・ダイヤモンドバックスと契約し、控えの一塁・二塁手として好成績を残し、翌年まで在籍する。

2005年ワシントン・ナショナルズに在籍した。

引退後

現在は、ESPNのスペイン語放送の解説者をしている。


  1. ^ a b c d The Ballplayers - Carlos Baerga” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年3月18日閲覧。
  2. ^ April 8, 1993 New York Yankees at Cleveland Indians Box Score and Play by Play” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年3月18日閲覧。
  3. ^ a b c d Carlos Baerga” (英語). BR Bullpen. 2008年3月18日閲覧。


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固有名詞の分類

ボストン・レッドソックスの選手 リチャード・ランセロッティ  リック・ランセロッティ  カルロス・バイエガ  ネイサン・ミンチー  エリック・パターソン
ニューヨーク・メッツの選手 ドン・シュルジー  ホセ・サンティアゴ  カルロス・バイエガ  ヒース・ベル  ダニー・グレーブス
クリーブランド・インディアンスの選手 チャド・ダービン  ホセ・サンティアゴ  カルロス・バイエガ  ブランドン・フィリップス  セシル・フィルダー
サンディエゴ・パドレスの選手 ドン・シュルジー  リック・ランセロッティ  カルロス・バイエガ  デイヴ・ハンセン  ヒース・ベル
ワシントン・ナショナルズ及びモントリオール・エクスポズの選手 エンディ・チャベス  リゴ・ベルトラン  カルロス・バイエガ  トニー・ソレイタ  リー・スティーブンス
アリゾナ・ダイヤモンドバックスの選手 エドウィン・ジャクソン  チャド・ダービン  カルロス・バイエガ  ブランドン・ウェブ  デニス・レイエス
プエルトリコの野球選手 クリス・ロハス  ホセ・サンティアゴ  カルロス・バイエガ  ヒラム・ボカチカ  フアン・ゴンザレス
三星ライオンズの選手 朴漢伊  文鉉晶  カルロス・バイエガ  太田龍生  朴鎮萬

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