カルロス・デ・レオン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/02 02:21 UTC 版)
基本情報 | |
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通称 | Sugar |
階級 | クルーザー級 |
国籍 |
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誕生日 | 1959年5月3日 |
出身地 |
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死没日 | 2020年1月1日(60歳没) |
死没地 |
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スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 61 |
勝ち | 52 |
KO勝ち | 32 |
敗け | 8 |
引き分け | 1 |
来歴
1974年8月3日、アメリカ領ヴァージン諸島でプロデビュー。
1980年4月25日、WBC世界クルーザー級王座挑戦者決定戦でワルデマール・パウリノ(ブラジル)と対戦し、1回KO勝ちで指名挑戦権を獲得した。
1980年11月26日、WBC世界クルーザー級王者マービン・カメル(アメリカ合衆国)に挑戦し、2-0の判定勝ちで王座を獲得した。
1982年2月24日、マービン・カメルと再戦し、8回KO勝ちを収め初防衛に成功した。
1982年6月27日、ST・ゴードン(アメリカ)と対戦し、2回KO負けを喫し2度目の防衛に失敗し王座から陥落した。
1983年3月6日、元WBA・WBC世界ヘビー級王者レオン・スピンクス(アメリカ)と対戦し、6回KO勝ちを収めた。
1983年7月17日、WBC世界クルーザー級王者ST・ゴードンと再戦し、12回3-0の大差判定勝ちを収め1年5ヶ月ぶりの王座返り咲きに成功した。
1985年6月6日、アルフォンソ・ラトリフ(アメリカ)と対戦し、12回1-2の判定負けを喫し4度目の防衛に失敗し王座から陥落した。
1986年3月22日、WBC世界クルーザー級王者バーナード・ベントンと対戦し、12回2-0の判定勝ちを収め9ヶ月ぶりの王座返り咲きに成功した。
1988年4月9日、WBA・IBF世界クルーザー級王者イベンダー・ホリフィールドと王座統一戦で対戦し、8回TKO負けを喫し王座統一によるWBC王座は4度目の防衛に失敗、WBA・IBF王座獲得に失敗した。
1989年5月17日、WBC世界クルーザー級王座決定戦でサミー・リーソン(アメリカ)と対戦し、9回TKO勝ちで1年ぶりの王座返り咲きに成功した。
1990年1月27日、ジョニー・ネルソン(イギリス)と対戦し、12回1-1の判定で引き分けに終わったが初防衛に成功した。
1990年7月28日、マッシミリアーノ・デュラン(イタリア)と対戦し、11回失格負けを喫し2度目の防衛に失敗し王座から陥落した。
1994年8月13日、後のWBO世界ヘビー級王者コーリー・サンダース(南アフリカ共和国)と対戦し、初回TKO負けを喫した。
1995年11月24日の試合を最後に引退した。
2020年1月1日、アメリカ合衆国ニューヨーク州バッファローの自邸にて、心臓停止の為に亡くなった[1]。60歳没。
獲得タイトル
- ^ "RIP Carlos De Leon dead aged 60: Boxing legend and four-time cruiserweight world title holder passes away" (HTML). The SUN (英語). News Group Newspapers of News International. 2 January 2020. 2020年1月3日閲覧。
- 1 カルロス・デ・レオンとは
- 2 カルロス・デ・レオンの概要
- 3 関連項目
固有名詞の分類
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