カタリナ (ナバラ女王) 生涯

カタリナ (ナバラ女王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 07:22 UTC 版)

生涯

父はフォワ伯ガストン4世とナバラ女王レオノールの長男であるビアナ公ガストン・ド・フォワ。母はフランス王シャルル7世の娘マドレーヌ。兄フランシスコ(フランソワ)が成人せずに早世したため継承者となり、母マドレーヌが引き続き摂政を務めた。

1484年にアルブレ領主ジャン(フアン3世)と結婚した。2人の間にはエンリケ2世(アンリ・ダルブレ)ら13人の子が生まれた。

若年かつ女子であるカタリナの即位に対し、カタリナの叔父ナルボンヌ子爵ジャン・ド・フォワは自らの王位継承権を主張してナバラに内乱を起こし、これは1497年まで続いた。ジャンは3年後の1500年に死去したが、その娘でカタリナの従妹にあたるジェルメーヌと再婚したアラゴン王フェルナンド2世(カタリナの祖母レオノールの異母弟にあたる)が1512年に軍勢を侵攻させてナバラを征服し、翌1513年に妻の権利によるナバラ王即位を宣言した。1515年にピレネー山脈の北側を除くナバラの大部分はフェルナンドによって征服され、スペイン王国へ統合されていくこととなる[1]

カタリナと夫フアンはフランスへ逃れ、以後はバス=ナヴァール:Basse-Navarre)と呼ばれる残余の領土のみを、フランスの保護下で保つことになった。

脚注

参考文献

  • レイチェル・バード 『ナバラ王国の歴史』 彩流社、1995年

関連項目


  1. ^ バード、pp. 133 - 134, 138


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