オーギュスト・エスコフィエ オーギュスト・エスコフィエの概要

オーギュスト・エスコフィエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/25 12:52 UTC 版)

ジョルジュ・オーギュスト・エスコフィエ
Georges Auguste Escoffier
生誕 (1846-10-28) 1846年10月28日
フランス王国、ヴィルヌーヴ=ルーベ
死没 (1935-02-12) 1935年2月12日(88歳没)
モナコモンテカルロ
職業シェフ
配偶者あり
補足

レストラン経営と料理考案・レシピ集の著述を通じて、伝統的なフランス料理の大衆化・革新に貢献したことで知られる。現在に至るフランス料理発展の重要なリーダーとして、シェフと食通の間で神格化され、「近代フランス料理の父」とも呼ばれている[1]

エスコフィエが築いた技法の多くは、19世紀フランス料理の創始者として知られるシェフ、アントナン・カレームの技法を基礎としている。エスコフィエの最大の功績は、カレームを基礎としながらも、カレームが築き上げた、精巧で装飾的な意味合いの濃厚な料理を単純化し、調理法を体系化することによって、フランス料理現代化の先鞭をつけたことにある。

エスコフィエの改革は料理そのものにとどまらず、シェフという職に、残忍さや酩酊に代わり、規律と節制という気風を持ち込み、シェフ職の社会的地位の向上に貢献したことが功績のひとつに数えられている。また、厨房各々のセクションにシェフ・ド・パルティ(chef de partie、部門シェフ)を置くシステム「ブリガード・ド・キュイジーヌ」を発案、自身の厨房を再編した。かつては一度に全ての料理を供するサービスが主流だったフランス料理に、コースメニューを導入したことでも知られている。

なお、エスコフィエの名は料理人に授けられる栄誉称号 「ディシプル・オーギュスト・エスコフィエ」(オーギュスト・エスコフィエの弟子との意)として現在も残っている[注釈 1]


注釈

  1. ^ 例えば、日本などでもフランス料理シェフで組織する「日本エスコフィエ協会」(会長ホテルオークラ名誉総料理長剣持恒男)が優れた料理人に対してこの称号を授与している。関連報道として「国内フランス料理界が栄誉称号 石田シェフ 37年目の感無量」[2]

出典

  1. ^ 築地精養軒と洋食文化:料理”. 近代日本とフランス. 国立国会図書館. 2019年5月4日閲覧。
  2. ^ 読売新聞2005年6月21日東京朝刊秋田版34頁、「北九州のシェフ2人に栄誉称号 日本エスコフィエ=北九州」『読売新聞』2006年7月19日西部朝刊北九州版32頁参照。
  3. ^ ジョン・バクスター『二度目のパリ 歴史歩き』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2013年、81頁。ISBN 978-4-7993-1314-5 
  4. ^ フランス料理シェフの高い帽子はオーギュスト・エスコフィエの背が低いコンプレックスから!


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