エジプト第1中間期 第1中間期の遺構

エジプト第1中間期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/10 07:47 UTC 版)

第1中間期の遺構

ヒエラコンポリス州侯アンクティフィのレリーフ
メンチュヘテプ2世の神殿王墓跡。

第1中間期はエジプトの分裂のために労働力や建材の確保が困難になったと見られ、古王国時代のピラミッド太陽神殿英語版のような大型建造物の出土例は少ない。まず古王国時代の代表的な建造物であるピラミッドの建造は、恐らく第7、第8王朝というメンフィスの政権によって建設が続けられていた。第8王朝のカカラー王が建設した小さなピラミッドがサッカラの南から発見されており、内部からピラミッド・テキストも発見されている[2]。またヘラクレオポリス政権に仕えたと見られる州侯たちの墓が発見されている。ヒエラコンポリス州侯であった貴族アンクティフィの墓は建造物の少ないこの時代の遺構として特に貴重である。彼は「我に並ぶ者は過去にも未来にも出現しない」と墓に記し、その善政を誇っている[6][27]

第11王朝の初期の王達ももちろん墓を造営しており、テーベのエル=タリフにはアンテフ2世の墓がある。また彼はカルナックにテーベの主神アメン・ラーのための神殿を建造した[28]。彼の建造物で現存する物は仕上げの荒い八角柱に刻まれたヒエログリフの銘文のみであるが、この頃から確認され始めるアメン神への信仰は、テーベ政権によるエジプト制覇によってエジプトの宗教に絶大な影響を与えていくことになる[28]

やがて第11王朝のメンチュヘテプ2世によるエジプト統一は建築にも画期的な変化を齎した。ルクソール近郊で発見されているメンチュヘテプ2世の葬祭殿はエジプトの分裂の時代が終わり、再び強大な国家となったことをその巨大さによって伝えている。


注釈

  1. ^ 古代エジプト語ではセバトと呼ばれたが、ギリシア語に由来するノモスの表記が慣習的に広く普及している。
  2. ^ マネトは紀元前3世紀のエジプトの歴史家。彼はエジプト人であったが、ギリシア系王朝プトレマイオス朝に仕えたためギリシア語で著作を行った。
  3. ^ アフリカヌスの引用による。エウセビオス版では5人の王が75日間とする。
  4. ^ 古代エジプト語:ネン・ネスHwt-nen-nesu。「ヘラクレオポリス」という名は、この都市で祭られていた地方神ヘリシェフギリシア人ハルサフェスと呼び、名前の類似等からヘラクレスと同一視したことによって付けられたギリシア語名である。
  5. ^ この作品を記したパピルスオランダのライデン博物館に収蔵されている。『イプエルの訓戒』のうち現存するのは紀元前13世紀から紀元前12世紀頃に写されたと考えられる写本である。成立年代については長い議論があり、この文書が書いている状況が第2中間期の物であるとする説もある[16]が、ここでは屋形説[16]に従い第1中間期に成立したとする立場に立っている。この作品は現状の悲惨さを訴えるのみならず、変革と秩序ある社会を実現するための叱責も含まれており、政治論的な色彩も帯びた文書である。
  6. ^ 文書内では「人となった。」と表記されている。本当の「人」とはエジプト人のみであるとする伝統的な見解が存在した[17]
  7. ^ 『イプエルの訓戒』の該当する部分では明確に非難の対象の名が記されてはいない。通常神、或いは王を相手とすると解釈される[20]
  8. ^ 『メリカラー王への教訓』についてはエジプト第10王朝の記事も参照[21]
  9. ^ この神の名は「西方にいる人々(死者)の中の第一人者」という意味である。[25]
  10. ^ こアビュドス巡礼について近藤二郎は、キリスト教エルサレムへの聖地巡礼や、イスラーム教マッカ(メッカ)への巡礼のような、一神教のものとはやや色合いを異にし、むしろ日本のお伊勢詣に近い物であると述べている。[26]

出典

  1. ^ 屋形ら 1998, pp.414-416
  2. ^ a b フィネガン 1983, p.260
  3. ^ 屋形ら 1998, p.421
  4. ^ 例としてスペンサー 2009, p.40
  5. ^ 屋形ら 1998, p.416
  6. ^ a b クレイトン 1999, p.91
  7. ^ 屋形ら 1998, pp.421-422
  8. ^ フィネガン 1983, p.261
  9. ^ ドドソン, ヒルトン 2012, p.80
  10. ^ スペンサー 2012, p.44
  11. ^ クレイトン 1999, p.92
  12. ^ 屋形ら 1998, p.422
  13. ^ a b フィネガン 1983, pp.265-266
  14. ^ フィネガン 1983, p.267
  15. ^ a b c 屋形ら 1998, p.424
  16. ^ a b 屋形訳 1978, p.450
  17. ^ 屋形訳 1978, p.453
  18. ^ 屋形訳1978, pp .453-462
  19. ^ 屋形訳1978, pp .432-436
  20. ^ 屋形訳 1978, pp.451-452
  21. ^ 屋形訳 1978, pp.521-526
  22. ^ 屋形訳 1978, pp.439-449
  23. ^ 屋形ら 1998, pp.427-429
  24. ^ a b c 近藤 1997, p.97
  25. ^ a b 近藤 1997, p.98
  26. ^ 近藤 1997, p.110
  27. ^ ウィルキンソン 2015, pp.101-104
  28. ^ a b ウィルキンソン 2015, p.109
  29. ^ Fagan 2004, 第7章、第9章






エジプト第1中間期と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エジプト第1中間期」の関連用語

エジプト第1中間期のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エジプト第1中間期のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエジプト第1中間期 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS