イアン・ギラン・バンド 略歴

イアン・ギラン・バンド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/03 21:48 UTC 版)

略歴

1975年秋、ギランはジャズ・ロックを基盤とした同バンドを結成して、1976年にデビュー・アルバム『チャイルド・イン・タイム』を発表。彼以外のメンバーはギタリストのレイ・フェンウィック、ベーシストのジョン・ガスタフソン、キーボーディストのマイク・モラン、ドラマーのマーク・ナウシーフ即興演奏へのアプローチやパーカッシヴなリズムの組み立て、キーボーディスト/フルーティストのコリン・タウンズが参加した2作目『鋼鉄のロック魂』からはホーン・セクションを導入したプログレッシブなR&Bスタイルが中心となる。

1977年9月に来日公演を行い、翌年に『ライヴ・イン・ジャパン』を発表。ライブ・パフォーマンスの評価は高かったものの、パンク全盛の時代ではセールスは振るわず、1978年にバンド再編のために解散に至る。

来歴

  • 1976年:ライブ活動のためのキーボーディストとして元エルフのミッキー・リー・ソウルを迎えて、4月にフランスでファースト・ギグを行う[3]。その後、新たにマルチ・プレイヤーのコリン・タウンズがギランの曲作りのパートナーになり、ソウルを除いたメンバーとホーン・セクションを用いたセカンド・アルバム『鋼鉄のロック魂』録音。
  • 1977年:同メンバーで『魔性の勇者』録音。その後、日本武道館でライブを行う。
  • 1978年:前年の日本公演の音源を『ライヴ・イン・ジャパン』として発表。バンドの運営方針を変更するためにタウンズ以外のメンバーと契約は行わず解散、ヘヴィメタル指向を強めたサウンドとバンド名をギランに改名する。
  • 1983年、ギランの契約先のヴァージン・レコードから『ライヴ・イン・ジャパン』が新たに2枚組のLPアルバムとして再発された。2001年、1977年の広島公演を収録した『Live Yubin Chokin Hall,Hiroshima 1977』が発表された。

メンバーと担当楽器

第1期 1975年 - 1976年

  • イアン・ギラン (Ian Gillan) - ボーカル
  • レイ・フェンウィック (Ray Fenwick) - ギター、ボーカル
  • ジョン・ガスタフソン (John Gustafson) - ベース、ボーカル
  • マイク・モラン (Mike Moran) - キーボード
  • マーク・ナウシーフ (Mark Nauseef) - ドラム、パーカッション

+

ファースト・アルバム『チャイルド・イン・タイム』録音。ガスタフソンがロキシー・ミュージックのイギリス・ツアーに起用された[2]ので、プロデューサーのロジャー・グローヴァーがレコーディング・セッションの時に数曲でベースを弾いているが、後にガスタフソンがベース・パートを新たにオーバー・ダブしている。

第2期 1976年

  • イアン・ギラン (Ian Gillan) - ボーカル
  • レイ・フェンウィック (Ray Fenwick) - ギター、ボーカル
  • ジョン・ガスタフソン (John Gustafson) - ベース、ボーカル
  • ミッキー・リー・ソウル (Micky Lee Soule) - キーボード
  • マーク・ナウシーフ (Mark Nauseef) - ドラム、パーカッション

このメンバーでファースト・ギグを行う。

第3期 1976年 - 1978年

  • イアン・ギラン (Ian Gillan) - ボーカル
  • レイ・フェンウィック (Ray Fenwick) - ギター、ボーカル
  • ジョン・ガスタフソン (John Gustafson) - ベース、ボーカル
  • コリン・タウンズ (Colin Towns) - キーボード、フルート
  • マーク・ナウシーフ (Mark Nauseef) - ドラム、パーカッション

+

  • フィル・カーシー (Phil Kersie) - サックス (ゲスト/2nd)
  • ジョン・ハックリッジ (John Huckridge) - トランペット (ゲスト/2nd)
  • デレク・ヒーレー (Derek Healey) - トランペット (ゲスト/2nd)
  • マルコム・グリフィス (Malcolm Griffiths) - トロンボーン (ゲスト/2nd)
  • マーティン・フリス (Martin Frith) - サックス (ゲスト/2nd)

セカンド・アルバム『鋼鉄のロック魂』、サード・アルバム『魔性の勇者』、ライブ・アルバム『ライヴ・イン・ジャパン』録音。


注釈

  1. ^ ロキシー・ミュージックの準メンバーとしてアルバム『ストランデッド』(1973年)、『カントリー・ライフ』(1974年)、『サイレン』(1975年)の製作に参加。ロキシー・ミュージックの歴代ベーシストは、オリジナル・メンバーのグラハム・シンプソンを除いて全員準メンバー扱いだった。ロキシー・ミュージックが2019年にロックの殿堂入りした時には、受賞者8名の一人に選ばれた。
  2. ^ 「Black Sheep Of The Family」はスティーヴ・ハモンド(Steve Hammond)の作品。ハモンドはギタリストで、ノエル・レディングジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスに在籍中に結成したファット・マットレスに、脱退したレディングの後任として加入して同曲を提供した。ファット・マットレスが録音した原曲は、2000年に発表された編集アルバムに収録されている。ガスタフソンが在籍したクォーターマスは同曲をファースト・アルバムで取り上げた。さらにリッチー・ブラックモアレインボーもデビュー・アルバム『銀嶺の覇者』に収録した。

出典

  1. ^ Discogs”. 2024年1月3日閲覧。
  2. ^ a b David, Buckley (2004). The Thrill of It All: The Story of Bryan Ferry & Roxy Music. London: Andre Deutsch. pp. 149-51, 156, 159, 162, 176-7, 194-5, 196, 198-9, 200-1. ISBN 0-233-05113-9 
  3. ^ Popoff (2016), p. 197.






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