アーロン・ブーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/07 05:29 UTC 版)
ニューヨーク・ヤンキース 監督 #17 | |
---|---|
2020年8月7日 | |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | カリフォルニア州サンディエゴ郡ラ・メサ |
生年月日 | 1973年3月9日(50歳) |
身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 205 lb =約93 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 三塁手 |
プロ入り | 1994年 MLBドラフト3巡目 |
初出場 | 1997年6月20日 |
最終出場 | 2009年10月4日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
| |
監督・コーチ歴 | |
| |
この表について
|
祖父のレイ・ブーン、父のボブ・ブーン、兄のブレット・ブーンも元メジャーリーグ選手。
経歴
プロ入り前
高校卒業時の1991年、MLBドラフト43巡目(全体1127位)でカリフォルニア・エンゼルスからで指名されるが契約せず南カリフォルニア大学に進学。
プロ入りとレッズ時代
1994年のMLBドラフト3巡目(全体72位)でシンシナティ・レッズから指名され、プロ入り。
1997年6月20日にメジャーデビュー。
1998年9月27日、レッズのシーズン最終戦で、アーロン・ブーンが三塁手、当時レッズに所属していた兄のブレット・ブーンが二塁手、ラーキン兄弟の兄バリー・ラーキンが遊撃手、弟スティーブン・ラーキンが一塁手で出場し、史上初の兄弟2組同時出場が実現した。
2003年には初めてオールスター に出場(兄のブレット・ブーンも相手チームで出場していた)。
ヤンキース時代
2003年7月31日にロビン・ベンチュラを放出したニューヨーク・ヤンキースがトレードで獲得。その年ヤンキースはポストシーズンに進出。地区シリーズでミネソタ・ツインズに3連勝し、ボストン・レッドソックスとのリーグチャンピオンシップに臨んだ。3勝3敗で第7戦までもつれ込み、5対5で迎えた延長11回裏、ティム・ウェイクフィールドからメジャー史上に残る劇的なサヨナラホームランを打ちリーグ優勝を決めた。
2004年2月、ヤンキースとの契約に違反してバスケットボールをして遊んでいる最中、左膝の靭帯を断裂して即刻解雇された。同年はメジャー出場なしに終わった。また球団は、ブーンの怪我と解雇をきっかけにして予てより希望していたアレックス・ロドリゲス獲得を本格的に画策し始めたとされ、実現させている。
インディアンス時代
2005年から2シーズンクリーブランド・インディアンスでプレー。
2006年は、8月以降は若手有望株のアンディ・マルテにポジションを追われる形となり、控えとしてベンチを温める機会が多くなった。またこの年、3年ぶりに二塁手として1試合プレーしている。同年オフにチームから翌年の契約オプションを破棄されFAとなった。
マーリンズ時代
2007年はフロリダ・マーリンズで、主に対左腕用の一塁手、または正三塁手ミゲル・カブレラの控えとしてプレー。69試合に出場し、限られた出場機会ながら、打率.286、5本塁打、28打点をマーク。ちなみに一塁の守備に就いたのは、メジャー昇格後、この年が初めてだった。オフにFAとなった。
ナショナルズ時代
2007年オフにワシントン・ナショナルズと契約。
2008年6月25日、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム戦の8回に内野安打を放ち、通算1000本安打を達成。
アストロズ時代
2008年12月18日にヒューストン・アストロズと1年契約を結んだ。
2009年はシーズン終盤に10試合出場し、13打数ノーヒットに終わった。
引退後
2010年2月23日に引退を表明し、ESPNの解説者に就任。
2017年12月4日、ヤンキースの監督に就任することが発表された[1][2]。
ヤンキース監督時代
2018年3月29日にトロント・ブルージェイズとの開幕戦が行われ、6-1で勝利しシーズンが始まった[3]。9月2日に審判に暴力行為を働いたとして1試合を出場停止となった[4]。チームは、100勝・62敗でアメリカンリーグ東地区第2位と好成績を残し[5][5]、アメリカンリーグのワイルドカードゲームとなるオークランド・アスレチックス戦でもチームの指揮を執ることになったが、主力選手であるアーロン・ジャッジが手首の怪我で2か月の離脱となってしまう。10月3日に、アスレチックスに7-2で勝利し[6]、ALDSに駒を進めたため、初めてのポストシーズンで勝利した監督となった。ただALDSでは3試合で1勝しかできず、ALCSには進めなかった[7]。
2019年9月19日、マジック「1」としていたヤンキースはエンゼルスに快勝し、2年連続の100勝(54敗)でチームは2012年以来7年ぶり19度目のア・リーグ東地区優勝を果たした。指揮官として初の地区優勝を成し遂げたほか、通算200勝目もマーク。就任後の2シーズンでいずれも100勝以上を記録したMLB史上初の監督となった[8]。
2022年オフの11月15日に全米野球記者協会(BBWAA)から2位票が1、3位票が1、計4ポイントで最優秀監督賞5位となった[9]。
また何かと退場が多く、2022・23年シーズンと連続し、退場王に輝いた。
親子三代メジャーリーガー
祖父は1950年代にデトロイト・タイガース等で主に三塁手として活躍したレイ・ブーン。父はフィラデルフィア・フィリーズ、カリフォルニア・エンゼルスなどで捕手として活躍したボブ・ブーン(後カンザスシティ・ロイヤルズとシンシナティ・レッズで監督)。兄はシアトル・マリナーズなどで活躍したブレット・ブーン。
つまり、親子孫と三世代でメジャーでプレイした最初のファミリーとなった。ブーン・ファミリーは4人全員がオールスターに出場している。
- ^ http://newyork.cbslocal.com/2017/12/04/yankees-hire-aaron-boone-official/
- ^ “Aaron Boone tabbed to be new manager for Yankees”. MLB. 2017年12月4日閲覧。
- ^ “Stanton, Yankees crush Blue Jays in opening-day drubbing”. Toronto Sun (2018年3月29日). 2018年10月4日閲覧。
- ^ “Aaron Boone suspended one game for bumping umpire”. MLB. 2018年9月2日閲覧。
- ^ a b “Aaron Boone”. Baseball Reference. Sports Reference LLC. 2018年10月4日閲覧。
- ^ “New York Yankees rout A's to set up ALDS showdown with Boston Red Sox”. Associated Press. The Guardian. (2018年10月4日) 2018年10月4日閲覧。
- ^ “Red Sox Eliminate Yankees From Playoffs in a Photo Finish”. New York Times (2018年10月10日). 2018年10月10日閲覧。
- ^ “ヤンキースが7年ぶりのア・リーグ東地区V、田中が勝利投手に”. www.afpbb.com. 2019年9月22日閲覧。
- ^ “Guardians’ Terry Francona wins Manager of the Year for the third time” (英語). BBWAA – Baseball Writers' Association of America (2022年11月15日). 2022年11月16日閲覧。
- ^ 年齢は、その年の満年齢で表記。
- 1 アーロン・ブーンとは
- 2 アーロン・ブーンの概要
- 3 詳細情報
- 4 関連項目
固有名詞の分類
アメリカ合衆国の野球選手 |
ジョシュ・レディック ティム・アイルランド アーロン・ブーン ジミー・ゴッブル トム・ロブソン |
ニューヨーク・ヤンキースの選手 |
アンヘル・ベローア マリアノ・リベラ アーロン・ブーン バーニー・ウィリアムス マーク・メランソン |
クリーブランド・インディアンスの選手 |
サイ・ヤング ジョシュ・バード アーロン・ブーン トラビス・フライマン ティム・ウォーレル |
シンシナティ・レッズの選手 |
ジョー・アブレイユ ダネル・コールズ アーロン・ブーン ジェフ・コーナイン ビンス・コールマン |
ワシントン・ナショナルズ及びモントリオール・エクスポズの選手 |
ライアン・チャーチ ジョシュ・バード アーロン・ブーン トマス・デラロサ アロンゾ・パウエル |
ヒューストン・アストロズの選手 |
ジョシュ・バンクス エディ・マシューズ アーロン・ブーン ヨーキス・ペレス ショーン・バーグマン |
フロリダ・マーリンズの選手 |
ニック・ジョンソン マイク・グラン アーロン・ブーン ヨーキス・ペレス ジェフ・コーナイン |
- アーロン・ブーンのページへのリンク