アーサー・ミラー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/14 16:41 UTC 版)
アーサー・ミラー Arthur Miller | |
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誕生 |
アーサー・アッシャー・ミラー Arthur Asher Miller 1915年10月17日 ニューヨーク州ニューヨーク |
死没 |
2005年2月10日(89歳没) コネチカット州ロックスベリー |
職業 | 劇作家、エッセイスト |
言語 | 英語 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
最終学歴 | ミシガン大学 |
活動期間 | 1936年 - 2004年 |
代表作 | セールスマンの死 |
主な受賞歴 |
エルサレム賞高松宮殿下記念世界文化賞 ピュリッツァー賞 トニー賞 ケネディ・センター賞 |
デビュー作 | No Villain |
配偶者 |
マリー・スラットレイ (1940 -1956) マリリン・モンロー (1956 - 1961) インゲ・モラス (1962 - 2005) |
子供 | レベッカ・ミラー |
親族 |
ジョーン・コープランド (en) ダニエル・デイ=ルイス |
ウィキポータル 文学 |
概略
1915年にニューヨークのハーレムで[1]、オーストリアのユダヤ系の家庭に生まれる。高校卒業後、1934年ミシガン大学に入学する[1]が、成績の低さが原因で奨学金が受けられず、更に大恐慌によって父親からの支援がなくなり、2年ほど自動車生産工場で働く。入学後、演劇を学び、1936年「悪人ではない」で学内ポップウッド賞受賞[1]。1937年「夜明けの名誉」でポップウッド賞、シアター・ギルド新人賞を受賞[1]。1938年、ミシガン大学を卒業[1]。
1944年「幸運な男」でブロードウェーに進出し、シアター・ギルド賞受賞[1]。1947年「みんな我が子」がヒットし、ニューヨーク劇評家賞受賞[1]。1949年「セールスマンの死」をでエリア・カザンが演出し、ニューヨーク劇評家賞とピュリッツァー賞受賞[1]。1953年「るつぼ」でトニー賞を受賞[1]。劇作家としての地位を確立し、テネシー・ウィリアムズとともにアメリカ現代演劇の旗手に躍り出た。1959年、全米芸術文化協会から戯曲部門ゴールド・メダル授与[1]。2001年に高松宮殿下記念世界文化賞受賞[1]。
2005年2月10日[1]、癌による心不全のため、コネチカット州の自宅で死去。89歳。
演劇作品
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「セールスマンの死」は、平凡なセールスマンに米国の夢を仮託し、子供への過大な期待を抱いて自滅する姿を、現代の悲劇の象徴として描いた。また、1953年の「るつぼ」では、17世紀末の魔女狩りを素材にマッカーシズムへの警鐘を鳴らした。その他、代表作に1955年の「橋からの眺め」、1968年の「代価」などがある。
ミラーは、社会と個人の接点からドラマを構築し、社会の矛盾を風刺し、近代化による人間疎外を批判した。映画化された作品も多い。日本でも、作品は数多く繰り返し上演され、大きな共感を呼び起こした。1983年には自らの演出で「セールスマンの死」を北京で上演。「るつぼ」は、2001年の9・11同時多発テロ以降のアメリカ国内の動きを批判して再演され話題を呼ぶ。2004年にシカゴで上演した「フィニッシング・ザ・ピクチャー」が最後の作品となった。
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