アメリカ合衆国の植民地時代
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植民地化の目的
植民者達は高度に発達した陸軍、海軍、政府および企業家的な可能性を備えたヨーロッパの国々から来た。スペイン人やポルトガル人はレコンキスタの数世紀にわたる征服と植民地化の経験があり、新しい海洋航行可能な船舶の操船術と組み合わされて新世界を植民地化する道具と能力および願望を持っていた。イングランド、フランスおよびオランダは西インド諸島と北アメリカ大陸の双方で植民地化を始めた。これらの国は海洋航行可能な船舶の造船術を持っていたが、スペインのように植民地化の強力な歴史は持っていなかった。しかし、イングランドのテューダー朝は初期資本主義(重商主義)を通じてアメリカ大陸の植民地に政府の統制をあまり必要としない商業に基づく投資の性格を与えた[4][5]。
初期植民地の失敗
ノバスコシア(ニュースコットランド)は1629年に入植されたが1631年にフランスのために放棄された。
スペインは現在のアメリカ合衆国の領域に幾つかの植民地を造った。しかしこれらの幾つかは失敗した。1526年、ルーカス・バスケス・デ・アイロンが現在のジョージア州あるいはサウスカロライナ州の地にサンミゲル・デ・グアダルーペ植民地を造った。この植民地は短期間存在しただけで直ぐに崩壊した。この植民地は現在のアメリカ合衆国領土の中でアフリカ人奴隷の労働力を使った最初の例としても有名である。1528年にスペインのコンキスタドール、パンフィロ・デ・ナルバエスがフロリダに植民地を造る試みを始めた。ナルバエス遠征隊はわずか4人が生き残って1536年にメキシコにたどり着くという大惨事におわった。1559年に西フロリダに造ったスペインのペンサコーラ植民地は1561年のハリケーンで破壊された。ノースカロライナの内陸部に1567年に建設されたサンフアン砦は、18ヶ月後に土地のインディアンに破壊された。1570年に設立され翌年には失敗したアハカン伝道所は、後のイングランドのジェームズタウン植民地に大変近い所であり、そこは後にバージニアと呼ばれるようになった[1]。
フランスも幾つかの植民地を造ったが、天候、病気あるいはヨーロッパ列強との抗争によって失敗した。1562年にフランス軍の小さな部隊がサウスカロライナのパリス島に残されてシャルルフォールを造ったが、フランスからの補給が無かったために一年後には放棄された。1564年に現在のフロリダ州ジャクソンビルにカロリーヌ砦が建設されたが、1年後にサン・アグスタンから来たスペイン人に破壊された。1604年、現在のメイン州セントクロワ島に短命のフランス植民地ができたが、病気、おそらくは壊血病に悩まされたために潰れた[1]。
スペインの植民地
フロリダ
スペイン帝国はフロリダに多くの小さな開拓地を造った。最も重要なものは1565年に設立されたサン・アグスタン(現在のセントオーガスティン)だったが、何度も攻撃を受け焼かれた。小さな拠点は勿論、サン・アグスタンですら、海賊の攻撃は容赦しないものがあった。1702年と1704年に行われたサウスカロライナからの大規模遠征によって、実質的にスペインの伝道所群が破壊された。サン・アグスタンは生き残ったが、ヤマシー族などイギリス人と同盟したインディアンがフロリダ中で奴隷狩りを行い、この地域にいたインディアンの大半を殺すか奴隷化した[1]。1700年代半ば、ジョージアから侵入したセミノール族インディンが残っていた土地のインディアン大半を殺した。イギリスがこの地域を支配した1763年には、スペイン人約3,000人が住んでいたが、そのほとんど全てが早々に退去した。1783年にスペインの支配に復したが、スペインは新たな開拓者や宣教師をフロリダに送ろうとはしなかった。アメリカ合衆国が1819年にスペインからフロリダの割譲を受けた[6]。
ニューメキシコ(1598年-1821年)
16世紀を通じてスペインはメキシコから現在のアメリカ合衆国南西部を探検した。その中でも最も著名な探検家はフランシスコ・バスケス・デ・コロナドであり、その遠征隊は現在のニューメキシコ州、アリゾナ州、コロラド州南部、オクラホマ州のパンハンドル地域およびカンザス州全体を旅した。しかし、コロナドは新しい開拓地を造らなかった。最初の植民地は1598年にフアン・デ・オニャーテにより、現在のニューメキシコ州エスパノーラに近いサンフアン・デ・ロス・カバレロスに造られたものであり、その後1609年頃のサンタフェが続いた。2番目の植民地はプエブロの反乱の後の1692年、ディエゴ・デ・バルガスによるものだった。ニューメキシコの王国内は幾つかの外国(テキサス、フランス、アメリカ合衆国)による領有権主張があったが、スペイン(223年間)およびメキシコ(25年間)による支配が続けられた。米墨戦争の1846年にアメリカ合衆国スティーブン・ワッツ・カーニーが指揮する西部軍がここを制圧した。当初スペイン、後にはメキシコに土地所有を認められた植民者の多くの直系子孫が今日でもこの地域に住んでいる[1][7]。
カリフォルニア(1769年-1821)
16世紀初期から18世紀半ばにかけてスペインの探検家がカリフォルニアの海岸を航行したが、当時は開拓地が造られなかった。
スペインは1769年から宣教師や軍隊を送り始め、カリフォルニアの南部や中部の海岸に沿って一連のカトリック教伝道所を建設し、これに砦、町および牧場が併設された。フランシスコ会宣教師フニペロ・セラ牧師が1769年のサンディエゴ・デ・アルカラから初めて伝道所の繋がりを建設した。カリフォルニアの伝道所群は21箇所の拠点から構成され、インディアンにキリスト教を広める他に、その地域に対するスペインの領有権を確実にする利点があった。この伝道所はヨーロッパの技術、家畜や農作物を伝え、地域先住民を労働者として使っていた[7]。
伝道所はサンディエゴからサンフランシスコ湾の直ぐ北にあるソノマの海岸に沿って、それぞれが馬で約一日の距離に配され、スペインの法律の下に「プレシディオ」すなわち砦と「プエブロ」すなわち町で補われた。全てが海岸線近くに配されたので、伝道所、プレシディオおよびプエブロの間の一本の道は「エル・カミノ・レアル」(王道)と呼ばれるようになり、これが今日のカリフォルニア州最初の公道となった[8]。
1820年までにスペインの影響力はサンディエゴからソノマまでの伝道所の並びに及び、内陸にはおよそ25ないし50マイル(40ないし80 km)まで及んだ。この地帯の外にはおよそ20万人から25万人のインディアンが昔からの生活様式を続けていた。スペイン政府(1821年にメキシコが独立した後はメキシコ政府)が大規模な土地特許を認めて定住を奨励し、それが牛や羊の牧場に変わった。1840年代にはヒスパニック系住人の人口は約1万人だった。「エル・カミノ・レアル」と伝道所は後に牧歌的で平和な過去を偲ばせる象徴になった。伝道所復古調建築様式はカリフォルニアの過去の理想化された見解から想を得た建築運動だった[8]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h Cooke, ed. North America in Colonial Times (1998)
- ^ http://www.dalhousielodge.org/Thesis/scotstonc.htm
- ^ Colonial North America
- ^ Richard Middleton, Colonial America: A History, 1565-1776 3rd ed. 2002.
- ^ Wallace Notestein, English People on Eve of Colonization, 1603-30 (1954)
- ^ Michael Gannon, The New History of Florida (1996)
- ^ a b David J. Weber, The Spanish Frontier in North America (2009)
- ^ a b Andrew F. Rolle, California: A History, 2008.
- ^ Michael G. Kammen, Colonial New York: A History (1996)
- ^ Johnson, Amandus The Swedes on the Delaware (1927)
- ^ Meeting of Frontiers: Alaska - The Russian Colonization of Alaska
- ^ Russian Settlement at Fort Ross, California, in the 19th century
- ^ Butler, James Davie (1896年10月). “British Convicts Shipped to American Colonies”. American Historical Review 2. Smithsonian Institution, National Museum of Natural History. 2007年6月21日閲覧。
- ^ a b c Alan Taylor, American Colonies,, 2001.
- ^ a b Ronald L. Heinemann, Old Dominion, New Commonwealth: A History of Virginia, 1607-2007, 2008.
- ^ a b c d e f James Ciment, ed. Colonial America: An Encyclopedia of Social, Political, Cultural, and Economic History, 2005.
- ^ Donaldson, Thomas, ed. (1881), The Public Domain., Washington: House of Representatives, pp. 465 – 466
- ^ H. W. Brands, The First American: The Life and Times of Benjamin Franklin (2002)
- ^ a b c Fred Anderson, The War That Made America: A Short History of the French and Indian War (2006)
- ^ a b Daniel Vickers, ed. A Companion to Colonial America (2006), ch 13-16
- ^ Bailyn, Bernard, The Ideological Origins of the American Revolution (1967); Jack P. Greene and J. R. Pole, eds. A Companion to the American Revolution (2003)
- ^ Sydney E. Ahlstrom, A Religious History of the American People (2nd ed. 2004) ch 17-22
- ^ Sydney E. Ahlstrom, A Religious History of the American People (2nd ed. 2004) ch 18, 20
- ^ Historian Jon Butler has questioned the concept of a Great Awakening, but most historians use it. John M. Murrin (June 1983). “No Awakening, No Revolution- More Counterfactual Speculations”. Reviews in American History 11 (2): 161–171. doi:10.2307/2702135 .
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