たけし軍団
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CMへの出演
- 永谷園「百円おそうざい」(1984年) ビートたけし、そのまんま東、柳ユーレイ、松尾伴内、ガダルカナル・タカ、ダンカン、ラッシャー板前、つまみ枝豆、グレート義太夫、大森うたえもん
- タイトー「影の伝説」(1986年) そのまんま東、ガダルカナル・タカ、ラッシャー板前、大森うたえもん
- 郵便局「簡易保険ニューナイスプラン」(1992年) ガダルカナル・タカ、ダンカン、つまみ枝豆、井手らっきょ
ラジオ番組
- たけし軍団大阪GIG(ABCラジオ)[43]ガダルカナル・タカ、つまみ枝豆、井手らっきょ、浅草キッド
草野球チーム「たけし軍団」
たけし軍団の結成後、草野球チーム「たけし軍団」としても活動。現在も神宮草野球場での「茜リーグ」に所属している。『スポーツ大将』では、アマチュア最強とも噂される強豪でノンプロ選手が参加する「東京ファイターズ」や、業界最強と言われたアパレルブランドNICOLEのチームに勝利するなど強い相手ほど勝負強くなる特性を見せた。
助っ人には当時無名であった、とんねるずも参加しており、これをきっかけに、とんねるずはたけしとの交友が深まり、同時にたけしを尊敬するようになる[44]。他にも、たけしとの親交が深かった逸見政孝の息子である逸見太郎も、軍団員の草野球に参加している[45]。
特筆すべきは1991年シーズンオフの11月23日、阪神タイガースのファン感謝デーにて阪神の二軍と対戦して最終回(この試合では特別ルールで6回まで)に逆転勝利したことである。「たけし軍団にも負けた阪神」と当時の阪神の弱さ(なおこの年の阪神はリーグ最下位だった)を象徴するエピソードになっている。翌1992年には千葉ロッテマリーンズのファン感謝デーにも招聘されて「非公式パリーグ入れ替え戦」の名目でマリーンズと対戦し(この年のマリーンズがリーグ最下位だったため)、2-1でたけし軍団が勝利を収めている。
実はハンディキャップとして使用球は軟式球を使用していたが後に、ガダルカナル・タカが試合後に練習場を通ると軟球が用意されていてプロの対策は万全だった。他にもヤクルト・近鉄にも挑戦を出していて練習試合でヤクルトにも勝利し、結局プロ相手には無敗だった[46]。
スクウェア製作のゲーム「日米間プロ野球 FINAL LEAGUE」(2002年)には、たけしが監督として登場し、軍団員(井手らっきょ・つまみ枝豆など)も選手として登場する。
軍団内ユニット
1986年、そのまんま東・大森うたえもん・つまみ枝豆・ガダルカナル・タカの4人でユニット「たけし軍団COUNTDOWN」を組みレコード・デビュー。以下の作品を発表した。
- シングル
- BON・BON・BON(1986年11月1日)
- CONFUSION(1987年2月21日)
- 一枚の写真(1987年11月21日)
- アルバム
- COUNT DOWN 1st(1987年3月21日)
- 俺たちゃアイドル(1987年12月1日)※「おぼっちゃま」の楽曲を含む
- たけし軍団COUNT DOWNのすべて(1988年11月21日)※「おぼっちゃま」の楽曲を含む
- OH!傑作 ビートたけし&たけし軍団COUNT DOWN BEST SONGS(1989年10月21日)※ビートたけしの楽曲を含む
- COUNT DOWN 1st+2(2008年5月21日)
なお、その他のメンバーは音源リリースは見送られたものの、松尾伴内・ダンカン・柳ユーレイ・ラッシャー板前・井手らっきょで「たけし軍団IMAGEDOWN」が存在していた。
堀越学園高校の同級生である水島新太郎とサード長嶋は「おぼっちゃま」として思わしい結果ではないが本格的な歌手活動を行い(発表した作品については水島新太郎#ディスコグラフィを参照)、コンサート専用ユニットとして、キドカラー大道・誰なんだ吉武の「ザ・ボーヤ」、大阪百万円・古田古・グレート義太夫の「The KITANAI」があった。
注釈
出典
- ^ a b 「おいらの自分史」『新潮45別冊 コマネチ! ビートたけし全記録』新潮社、1998年、p.306.
- ^ a b 浅草キッド『キッドのもと』学研、2010年、p.96
- ^ 浅草キッド『キッドのもと』学研、2010年、p.97
- ^ ビートたけし『場外乱闘』太田出版、1992年、p.132
- ^ ビートたけし『こんな時代に誰がした! 場外乱闘2』太田出版、1993年、p.93
- ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、pp.58-59
- ^ 『本人本01 ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選!』太田出版、2008年、p.199
- ^ 僕は実はたけし軍団第一号だった 本当の話 歌う放送作家 植竹公和 2006年7月26日
- ^ ブラザー・コーン、たけし軍団第1号断っていた「東の位置に僕がいた」 - スポーツ報知 2017年7月21日
- ^ a b たけし軍団『ツノだせヤリだせ たけし軍団物語』太田出版、1986年、「軍団紀元前」の章
- ^ “水道橋博士、「殿に株を分けていただいたのは8人」騒動について語る” (日本語). スポーツ報知. (2018年4月4日) 2018年4月8日閲覧。
- ^ “なべやかんオフィス北野を退社、たけし軍団は辞めず - お笑い : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com 2018年4月8日閲覧。
- ^ “たけし軍団、約20年ぶりに結成メンバー10人が集結 40周年記念舞台に東国原英夫と大森うたえもんが合流”. サンケイスポーツ (産経デジタル). (2023年3月12日) 2023年3月31日閲覧。
- ^ たけし軍団TV (2023-03-18), 【完全ドキュメンタリー】たけし軍団結成40周年記念公演で奇跡の10人全員集合!【奇跡の1日】 2023年3月31日閲覧。
- ^ 森昌行『天才をプロデュース?』新潮社、2007年、p.19。
- ^ a b 『たけし軍団物語』p.137。
- ^ a b c アサヒ芸能編集部「我々はこうして殿の下に集った たけし軍団40周年ドキュメント」徳間書店『アサヒ芸能』2023年5月18日特大号 152‐157頁
- ^ a b たけし軍団「バカ殿言行録」『コマネチ』p.140。
- ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、p.56
- ^ a b たけし軍団『ツノだせヤリだせ たけし軍団物語』太田出版、1986年、第2章
- ^ 北野武『孤独』ロッキング・オン、2002年、p.54
- ^ 北野武『異形』ロッキング・オン、2004年、p.103
- ^ 『たけし軍団物語』p.140。
- ^ 浅草キッド『キッドのもと』学研、2010年、pp.80、96
- ^ 筑紫哲也編『たけし事件 怒りと響き』太田出版、p.36。
- ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、pp.311-312
- ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、pp.330-331
- ^ a b たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、p.332-336
- ^ 12月24日金曜日 水道橋博士の悪童日記 2004年12月24日
- ^ 9月4日 日曜 水道橋博士の悪童日記 2005年9月4日
- ^ グレート義太夫Twitter 2016年1月13日
- ^ 東国原英夫氏がたけし軍団の解散理由を明かす『仕事がなくなったから』 livedoor ニュース 2016年12月23日
- ^ 北野武『孤独』ロッキング・オン、2002年、p.55。
- ^ オールナイトニッポン&高田文夫編『ビートたけしのニッチも幸も』ニッポン放送出版、1984年、p.115。
- ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、pp.97-98
- ^ 浅草キッド『キッドのもと』学研、2010年、p.109
- ^ 北野武『孤独』ロッキング・オン、2002年、p.55
- ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、p.99
- ^ たけし軍団『ツノだせヤリだせ たけし軍団物語』太田出版、1986年、p.132
- ^ 北野武『異形』ロッキング・オン、2004年、p.106。
- ^ 「ビートたけしの21世紀毒談 第979回」『週刊ポスト』2009年5月1日号、p.123
- ^ 高田文夫編『江戸前で笑いたい 志ん生からビートたけしへ』筑摩書房、1997年、p.24
- ^ 『朝日放送の50年 III 資料集』p.150
- ^ 希土色の刻(キドカラー大道(元軍団員)ブログ)2014年6月8日「嗚呼「ビートたけし一門」」
- ^ 週刊新潮 2009年4月2日号 p.63 - 67
- ^ 【11月23日】1991年(平3) 阪神、たけし軍団に逆転負け 翌年はロッテもやられた-日めくりプロ野球09年11月
- ^ a b 「ビートたけしの21世紀毒談 第998回」『週刊ポスト』2009年9月25日・6月2日合併号、p.133
- ^ a b 『異形』p.105。
- ^ 「爆笑『被害者』座談会 『たけし軍団』珍名芸人16人が『殿、改名してください(泣)!』」『週刊新潮』2009年4月2日号、p.65
- ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、p.167-168
- ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、p.136
- ^ “寛平 借金は「最大6千万円」”. デイリースポーツ (2015年4月26日). 2015年4月27日閲覧。
- ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、p.141ほか
- ^ 新潮45 1998年2月号(新潮社)「バカ殿言行録--お手打ち覚悟の大放談」139〜159p
- ^ “つまみ枝豆「水ダウ」ドッキリ企画反響に「これが私なのかもしれません」”. Livedoor ニュース (2021年7月22日). 2021年7月23日閲覧。
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