たけし軍団 たけし軍団の概要

たけし軍団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/27 14:35 UTC 版)

概要

基本的にはビートたけしの弟子。1980年代初期に弟子入りした「一軍」・「二軍」、1986年に弟子入りした「三軍」、それ以降に弟子入りした「若手」らで構成されている。この他にも番組などで関わった「外人部隊」も含み、歴代総数は100名を超えるが、ほぼ半数が離脱あるいは芸能界から引退していることから、グループとしては非常に流動的である。たけしは女性を弟子に取らないため、メンバーは基本的に男性であり、野沢直子などが実際に弟子入りを志願したが全て拒否している。

「たけし軍団」という名前自体が「石原軍団」のパロディであり[2][注 1]、かつての二軍「たけし軍団セピア」は「一世風靡セピア」のもじり[2]、三軍「浅草キッドブラザース」は「東京キッドブラザース」のもじりである[3]。テレビでは主に体を張ったリアクション芸を披露して、識者からは芸がないと批判されることが多かった[4]。たけしは芸のないたけし軍団メンバーに、飲みに連れ歩いた10年間をかけて「間」を教えたと語っている[5]

そのまんま東大森うたえもんによるコンビのツーツーレロレロと、ピン芸人であった井手らっきょ(当時は、本名の井手博士名義)はビートたけしと同じく太田プロに所属していたが、それ以外の軍団メンバーは太田プロ所属ではなく、ビートたけしの弟子扱いで太田プロとは関係なくビートたけし預かりでポケットマネーから給料が出ていた。たけし軍団へのオファーはなく、ビートたけしの仕事にたけしとセットで出演する形になっていた[6]。その後は太田プロに正式に所属したが、1988年のオフィス北野(現・TAP)立ち上げ時にたけしとともに移籍している。

たけし軍団への加入の仕方は、ビートたけしに心酔しての純粋な弟子入り、井手らっきょやダンカン、カージナルス(ガダルカナル・タカつまみ枝豆)のように芸人として既に活動していてキャリアの途中でたけしによるヘッドハンティングによる加入と、たけしに思い入れがなく芸能界への入り口として弟子入りした人たちの3種類であるという[7]。創生期には太田プロのマネージャーによる、新人タレントへのスカウト活動もあった[8][9]

軍団に加入した者はニッポン放送で放送されていた「ビートたけしのオールナイトニッポン」で出待ちをしていた人物と、草野球の助っ人で軍団入りした人物が多い[10]。前者は当時芸能活動していない人物、後者は既に芸人として活動していた人物が多い。

2004年に解散宣言を行ったが、実際に解散しているかどうかは曖昧な状態にある(後述)。

たけしの退社及び自身の事務所T.Nゴン立ち上げに伴い、持ち株を「一軍」メンバー8人に分けた[11]。また、何人かの軍団員が事務所を退社しているが、その一人であるなべやかんは軍団をやめないことを表明している[12]。よって、現在は大きく分けると、TAP所属の軍団員、T.Nゴン所属の軍団員、その他の軍団員に分けられている。

2023年3月、TAPの企画・製作により、たけし軍団40周年記念舞台『ウスバカゲロウな男たち』が東京都新宿区のシアターサンモールで上演され、千秋楽のエンディングで、たけし軍団結成メンバー10人全員が久々に顔を揃えた[注 2]

メンバー

※はオフィス北野退社

1軍

若手

元メンバー


注釈

  1. ^ 但し、ザ・ドリフターズを意識して結成されたとする説もある。実際、たけしは「たけし軍団はドリフターズを意識して結成した。こんなバカな人間が大変な賞をもらった事に、初心に帰ってバカをやらないといけない」とカンヌ国際映画祭のインタビューで話した[要出典]
  2. ^ 舞台に参加した7人(ガダルカナル・タカ、つまみ枝豆、ダンカン、ラッシャー板前、グレート義太夫、松尾伴内、柳憂怜)、体調不良で舞台を降板した井手らっきょ、特別ゲストとしてそのまんま東と大森うたえもん[13][14]

出典

  1. ^ a b 「おいらの自分史」『新潮45別冊 コマネチ! ビートたけし全記録』新潮社、1998年、p.306.
  2. ^ a b 浅草キッド『キッドのもと』学研、2010年、p.96
  3. ^ 浅草キッド『キッドのもと』学研、2010年、p.97
  4. ^ ビートたけし『場外乱闘』太田出版、1992年、p.132
  5. ^ ビートたけし『こんな時代に誰がした! 場外乱闘2』太田出版、1993年、p.93
  6. ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、pp.58-59
  7. ^ 『本人本01 ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選!』太田出版、2008年、p.199
  8. ^ 僕は実はたけし軍団第一号だった 本当の話 歌う放送作家 植竹公和 2006年7月26日
  9. ^ ブラザー・コーン、たけし軍団第1号断っていた「東の位置に僕がいた」 - スポーツ報知 2017年7月21日
  10. ^ a b たけし軍団『ツノだせヤリだせ たけし軍団物語』太田出版、1986年、「軍団紀元前」の章
  11. ^ “水道橋博士、「殿に株を分けていただいたのは8人」騒動について語る” (日本語). スポーツ報知. (2018年4月4日). https://hochi.news/articles/20180403-OHT1T50311.html 2018年4月8日閲覧。 
  12. ^ “なべやかんオフィス北野を退社、たけし軍団は辞めず - お笑い : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com. https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201803310000370.html 2018年4月8日閲覧。 
  13. ^ “たけし軍団、約20年ぶりに結成メンバー10人が集結 40周年記念舞台に東国原英夫と大森うたえもんが合流”. サンケイスポーツ (産経デジタル). (2023年3月12日). https://www.sanspo.com/article/20230312-3EPW5ER22NMXNFUZWAWS3TTIVM/ 2023年3月31日閲覧。 
  14. ^ たけし軍団TV (2023-03-18), 【完全ドキュメンタリー】たけし軍団結成40周年記念公演で奇跡の10人全員集合!【奇跡の1日】, https://www.youtube.com/watch?v=vXXpnZmZeWw 2023年3月31日閲覧。 
  15. ^ 森昌行『天才をプロデュース?』新潮社、2007年、p.19。
  16. ^ a b 『たけし軍団物語』p.137。
  17. ^ a b c アサヒ芸能編集部「我々はこうして殿の下に集った たけし軍団40周年ドキュメント」徳間書店『アサヒ芸能』2023年5月18日特大号 152‐157頁
  18. ^ a b たけし軍団「バカ殿言行録」『コマネチ』p.140。
  19. ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、p.56
  20. ^ a b たけし軍団『ツノだせヤリだせ たけし軍団物語』太田出版、1986年、第2章
  21. ^ 北野武『孤独』ロッキング・オン、2002年、p.54
  22. ^ 北野武『異形』ロッキング・オン、2004年、p.103
  23. ^ 『たけし軍団物語』p.140。
  24. ^ 浅草キッド『キッドのもと』学研、2010年、pp.80、96
  25. ^ 筑紫哲也編『たけし事件 怒りと響き』太田出版、p.36。
  26. ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、pp.311-312
  27. ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、pp.330-331
  28. ^ a b たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、p.332-336
  29. ^ 12月24日金曜日 水道橋博士の悪童日記 2004年12月24日
  30. ^ 9月4日 日曜 水道橋博士の悪童日記 2005年9月4日
  31. ^ グレート義太夫Twitter 2016年1月13日
  32. ^ 東国原英夫氏がたけし軍団の解散理由を明かす『仕事がなくなったから』 livedoor ニュース 2016年12月23日
  33. ^ 北野武『孤独』ロッキング・オン、2002年、p.55。
  34. ^ オールナイトニッポン&高田文夫編『ビートたけしのニッチも幸も』ニッポン放送出版、1984年、p.115。
  35. ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、pp.97-98
  36. ^ 浅草キッド『キッドのもと』学研、2010年、p.109
  37. ^ 北野武『孤独』ロッキング・オン、2002年、p.55
  38. ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、p.99
  39. ^ たけし軍団『ツノだせヤリだせ たけし軍団物語』太田出版、1986年、p.132
  40. ^ 北野武『異形』ロッキング・オン、2004年、p.106。
  41. ^ 「ビートたけしの21世紀毒談 第979回」『週刊ポスト』2009年5月1日号、p.123
  42. ^ 高田文夫編『江戸前で笑いたい 志ん生からビートたけしへ』筑摩書房、1997年、p.24
  43. ^ 『朝日放送の50年 III 資料集』p.150
  44. ^ 希土色の刻(キドカラー大道(元軍団員)ブログ)2014年6月8日「嗚呼「ビートたけし一門」」
  45. ^ 週刊新潮 2009年4月2日号 p.63 - 67
  46. ^ 【11月23日】1991年(平3) 阪神、たけし軍団に逆転負け 翌年はロッテもやられた-日めくりプロ野球09年11月
  47. ^ a b 「ビートたけしの21世紀毒談 第998回」『週刊ポスト』2009年9月25日・6月2日合併号、p.133
  48. ^ a b 『異形』p.105。
  49. ^ 「爆笑『被害者』座談会 『たけし軍団』珍名芸人16人が『殿、改名してください(泣)!』」『週刊新潮』2009年4月2日号、p.65
  50. ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、p.167-168
  51. ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、p.136
  52. ^ 寛平 借金は「最大6千万円」”. デイリースポーツ (2015年4月26日). 2015年4月27日閲覧。
  53. ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、p.141ほか
  54. ^ 新潮45 1998年2月号(新潮社)「バカ殿言行録--お手打ち覚悟の大放談」139〜159p
  55. ^ つまみ枝豆「水ダウ」ドッキリ企画反響に「これが私なのかもしれません」”. Livedoor ニュース (2021年7月22日). 2021年7月23日閲覧。





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