たけし軍団
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概要
基本的にはビートたけしの弟子。1980年代初期に弟子入りした「一軍」・「二軍」、1986年に弟子入りした「三軍」、それ以降に弟子入りした「若手」らで構成されている。この他にも番組などで関わった「外人部隊」も含み、歴代総数は100名を超えるが、ほぼ半数が離脱あるいは芸能界から引退していることから、グループとしては非常に流動的である。たけしは女性を弟子に取らないため、メンバーは基本的に男性であり、野沢直子などが実際に弟子入りを志願したが全て拒否している。
「たけし軍団」という名前自体が「石原軍団」のパロディであり[2][注 1]、かつての二軍「たけし軍団セピア」は「一世風靡セピア」のもじり[2]、三軍「浅草キッドブラザース」は「東京キッドブラザース」のもじりである[3]。テレビでは主に体を張ったリアクション芸を披露して、識者からは芸がないと批判されることが多かった[4]。たけしは芸のないたけし軍団メンバーに、飲みに連れ歩いた10年間をかけて「間」を教えたと語っている[5]。
そのまんま東と大森うたえもんによるコンビのツーツーレロレロと、ピン芸人であった井手らっきょ(当時は、本名の井手博士名義)はビートたけしと同じく太田プロに所属していたが、それ以外の軍団メンバーは太田プロ所属ではなく、ビートたけしの弟子扱いで太田プロとは関係なくビートたけし預かりでポケットマネーから給料が出ていた。たけし軍団へのオファーはなく、ビートたけしの仕事にたけしとセットで出演する形になっていた[6]。その後は太田プロに正式に所属したが、1988年のオフィス北野(現・TAP)立ち上げ時にたけしとともに移籍している。
たけし軍団への加入の仕方は、ビートたけしに心酔しての純粋な弟子入り、井手らっきょやダンカン、カージナルス(ガダルカナル・タカ、つまみ枝豆)のように芸人として既に活動していてキャリアの途中でたけしによるヘッドハンティングによる加入と、たけしに思い入れがなく芸能界への入り口として弟子入りした人たちの3種類であるという[7]。創生期には太田プロのマネージャーによる、新人タレントへのスカウト活動もあった[8][9]。
軍団に加入した者はニッポン放送で放送されていた「ビートたけしのオールナイトニッポン」で出待ちをしていた人物と、草野球の助っ人で軍団入りした人物が多い[10]。前者は当時芸能活動していない人物、後者は既に芸人として活動していた人物が多い。
2004年に解散宣言を行ったが、実際に解散しているかどうかは曖昧な状態にある(後述)。
たけしの退社及び自身の事務所T.Nゴン立ち上げに伴い、持ち株を「一軍」メンバー8人に分けた[11]。また、何人かの軍団員が事務所を退社しているが、その一人であるなべやかんは軍団をやめないことを表明している[12]。よって、現在は大きく分けると、TAP所属の軍団員、T.Nゴン所属の軍団員、その他の軍団員に分けられている。
2023年3月、TAPの企画・製作により、たけし軍団40周年記念舞台『ウスバカゲロウな男たち』が東京都新宿区のシアターサンモールで上演され、千秋楽のエンディングで、たけし軍団結成メンバー10人全員が久々に顔を揃えた[注 2]。
メンバー
※はオフィス北野退社
1軍
若手
- 浅草キッド(水道橋博士(旧芸名:2代目 亀頭白乃介)・玉袋筋太郎※)- 元3軍メンバー。玉袋はTAP退社。
- 〆さばアタル(旧芸名:雨空トッポ)※
- なべやかん※
- お宮の松※
- ほたるゲンジ(無法松・桐畑トール)※
- アル北郷(旧名:犬岩石)※
- ガンビーノ小林
- 三又又三(旧芸名:ハムエッグ→三又忠久)
- やくみつゆ(旧芸名:前大輔→ルビー浅丘モレロ→大神クヒオ→犬神グヒオ→太神ダヒオ→東京名物大神本舗五百年→ダイオウイカ夫)※
- 赤P-MAN(旧芸名:P-MAN)
- ケンタエリザベス3世
- まっく赤坂見附(旧芸名:ケン鶴見→阿部定忠治→鳩山来留夫→鵯久留夫→鳩山クルオ)※
- シェパード太郎(旧芸名:ウサマビン太郎→安藤美姫太郎→O111太郎→ユッケ太郎→路地立つ太郎)※
- 北見寛明
元メンバー
- 秋山見学者 - 俳優に転身(現:秋山大学)
- 浅草キッドブラザース
- 一文字隼人 - 引退
- かに道楽落ち太 - 引退
- 亀頭白乃介 - 引退
- 佐竹チョイナチョイナ - 引退
- 熱海マッサージ - 引退
- 亜仁丸レスリー - 2013年4月27日死去
- 雨ガッパ(旧芸名:似背大周、ニセ大周) - 引退
- 石塚康介 - 後にT.Nゴンに移籍するも退所、現在はフリー
- 太田コースケ(現:太田浩介)
- 大前田権十郎 - 引退
- 大森うたえもん(旧芸名:クンタキンテ大森→大森くんた)
- 楽屋の大将 - 引退
- 岩クレイジー - 引退
- 九州男児 - 引退
- クロマニヨン吉川 - 引退
- こてっちゃん馬場
- 近藤夢(旧芸名:村越ユウジ→マダ村越) - 引退
- 近藤六(旧芸名:ペースメーカー遠藤→ファーアウト遠藤) - 引退
- サミー家安(旧芸名:サミーモアモアJr.) - 引退
- 〆さばヒカル(2006年、肝不全のため死去。旧芸名:雨空ライポ)
- ショー小菅 - 引退
- 新大久保清 - 引退
- すがぬま伸 - 引退
- 頭突王 - 引退
- 芹澤名人 - 俳優に転進
- そのまんま東(旧芸名:東英夫→ヒガシヒデオ、現:東国原英夫)
- ゾマホン・ルフィン
- たけし軍団セピア - 元2軍メンバー。
- 谷体調 - 引退
- 食べ放題飲み放題 - 引退
- チャイ - 引退
- トカレフ林 - 引退
- ドラゴン中尾 - 引退
- ノーカット星 - 引退
- バター犬たろう(2001年、死去)
- 古田古 - 永久破門、引退
- 北海ジャンジャン - 引退。佐竹チョイナ²の弟子
- マーシャルセータ - 引退
- 負古太郎
- 元日本兵 - 引退
- 山崎まさや(旧芸名:山崎方也(本名))
- よろしくゲレーラ - 解散
注釈
出典
- ^ a b 「おいらの自分史」『新潮45別冊 コマネチ! ビートたけし全記録』新潮社、1998年、p.306.
- ^ a b 浅草キッド『キッドのもと』学研、2010年、p.96
- ^ 浅草キッド『キッドのもと』学研、2010年、p.97
- ^ ビートたけし『場外乱闘』太田出版、1992年、p.132
- ^ ビートたけし『こんな時代に誰がした! 場外乱闘2』太田出版、1993年、p.93
- ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、pp.58-59
- ^ 『本人本01 ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選!』太田出版、2008年、p.199
- ^ 僕は実はたけし軍団第一号だった 本当の話 歌う放送作家 植竹公和 2006年7月26日
- ^ ブラザー・コーン、たけし軍団第1号断っていた「東の位置に僕がいた」 - スポーツ報知 2017年7月21日
- ^ a b たけし軍団『ツノだせヤリだせ たけし軍団物語』太田出版、1986年、「軍団紀元前」の章
- ^ “水道橋博士、「殿に株を分けていただいたのは8人」騒動について語る” (日本語). スポーツ報知. (2018年4月4日) 2018年4月8日閲覧。
- ^ “なべやかんオフィス北野を退社、たけし軍団は辞めず - お笑い : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com 2018年4月8日閲覧。
- ^ “たけし軍団、約20年ぶりに結成メンバー10人が集結 40周年記念舞台に東国原英夫と大森うたえもんが合流”. サンケイスポーツ (産経デジタル). (2023年3月12日) 2023年3月31日閲覧。
- ^ たけし軍団TV (2023-03-18), 【完全ドキュメンタリー】たけし軍団結成40周年記念公演で奇跡の10人全員集合!【奇跡の1日】 2023年3月31日閲覧。
- ^ 森昌行『天才をプロデュース?』新潮社、2007年、p.19。
- ^ a b 『たけし軍団物語』p.137。
- ^ a b c アサヒ芸能編集部「我々はこうして殿の下に集った たけし軍団40周年ドキュメント」徳間書店『アサヒ芸能』2023年5月18日特大号 152‐157頁
- ^ a b たけし軍団「バカ殿言行録」『コマネチ』p.140。
- ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、p.56
- ^ a b たけし軍団『ツノだせヤリだせ たけし軍団物語』太田出版、1986年、第2章
- ^ 北野武『孤独』ロッキング・オン、2002年、p.54
- ^ 北野武『異形』ロッキング・オン、2004年、p.103
- ^ 『たけし軍団物語』p.140。
- ^ 浅草キッド『キッドのもと』学研、2010年、pp.80、96
- ^ 筑紫哲也編『たけし事件 怒りと響き』太田出版、p.36。
- ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、pp.311-312
- ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、pp.330-331
- ^ a b たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、p.332-336
- ^ 12月24日金曜日 水道橋博士の悪童日記 2004年12月24日
- ^ 9月4日 日曜 水道橋博士の悪童日記 2005年9月4日
- ^ グレート義太夫Twitter 2016年1月13日
- ^ 東国原英夫氏がたけし軍団の解散理由を明かす『仕事がなくなったから』 livedoor ニュース 2016年12月23日
- ^ 北野武『孤独』ロッキング・オン、2002年、p.55。
- ^ オールナイトニッポン&高田文夫編『ビートたけしのニッチも幸も』ニッポン放送出版、1984年、p.115。
- ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、pp.97-98
- ^ 浅草キッド『キッドのもと』学研、2010年、p.109
- ^ 北野武『孤独』ロッキング・オン、2002年、p.55
- ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、p.99
- ^ たけし軍団『ツノだせヤリだせ たけし軍団物語』太田出版、1986年、p.132
- ^ 北野武『異形』ロッキング・オン、2004年、p.106。
- ^ 「ビートたけしの21世紀毒談 第979回」『週刊ポスト』2009年5月1日号、p.123
- ^ 高田文夫編『江戸前で笑いたい 志ん生からビートたけしへ』筑摩書房、1997年、p.24
- ^ 『朝日放送の50年 III 資料集』p.150
- ^ 希土色の刻(キドカラー大道(元軍団員)ブログ)2014年6月8日「嗚呼「ビートたけし一門」」
- ^ 週刊新潮 2009年4月2日号 p.63 - 67
- ^ 【11月23日】1991年(平3) 阪神、たけし軍団に逆転負け 翌年はロッテもやられた-日めくりプロ野球09年11月
- ^ a b 「ビートたけしの21世紀毒談 第998回」『週刊ポスト』2009年9月25日・6月2日合併号、p.133
- ^ a b 『異形』p.105。
- ^ 「爆笑『被害者』座談会 『たけし軍団』珍名芸人16人が『殿、改名してください(泣)!』」『週刊新潮』2009年4月2日号、p.65
- ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、p.167-168
- ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、p.136
- ^ “寛平 借金は「最大6千万円」”. デイリースポーツ (2015年4月26日). 2015年4月27日閲覧。
- ^ たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、p.141ほか
- ^ 新潮45 1998年2月号(新潮社)「バカ殿言行録--お手打ち覚悟の大放談」139〜159p
- ^ “つまみ枝豆「水ダウ」ドッキリ企画反響に「これが私なのかもしれません」”. Livedoor ニュース (2021年7月22日). 2021年7月23日閲覧。
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