さいたま車両センター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/29 04:41 UTC 版)
配置車両
配置車両は全て、電車である。2023年4月1日現在の配置車両は以下の通り[1][2]。
電車 | 気動車 | 機関車 | 客車 | 貨車 | 合計 |
---|---|---|---|---|---|
820両 | 0両 | 0両 | 0両 | 0両 | 820両 |
電車
E233系電車1000番台(820両)
- 10両編成82本(101 - 176、178 - 183編成)820両が配置されており、京浜東北線と根岸線で運用される。
- 209系電車置換え用として2007年9月より配置され、同年12月22日から営業運転を開始した。
- 川崎駅付近で発生した脱線事故により、177編成のうち損傷の激しかった2両が2016年12月に廃車となり[6]、残る8両も2018年4月7日付で廃車され[7]、同月下旬より東京総合車両センターで解体処分となった。
過去の配置車両
- 1998年(平成10年)撤退。大部分が廃車・解体されたが、中央・総武緩行線、京葉線や南武線、仙石線、国鉄時代は京阪神地区(大阪環状線や阪和線など)や名古屋地区(中央西線)などに転配された車両もある。逆に国鉄末期には浦和電車区のクモハ103形のユニットとクハ103形低窓車を日根野電車区(現・吹田総合車両所日根野支所)の中間車とトレードし、阪和線103系の短編成化に充てていた。転入した中間車は標記が「天ヒネ」のまま、さらに一部には阪和線時代のドアステッカー(「ゆびづめちゅうい」の表記あり[8])もそのままだった。さらに豊田電車区(現・豊田車両センター)や松戸電車区(現・松戸車両センター)からオレンジ色のモハユニットが転入したことがあり、後者は淀川電車区(現・網干総合車両所明石支所放出派出所)から松戸電車区に転入していた車両であった。
- 0番台
- 500番台
- 900番台
- 2007年(平成19年)に運用を離脱し、東京総合車両センターに回送され、付随車1両を除き同月に東大宮操車場(大宮総合車両センター東大宮センター)に疎開回送された。その後、長野総合車両センターに回送されたのち、クハ209-901を残して解体。同車は東京総合車両センターの正門付近に保存された。
- 910番台
- 2006年(平成18年)に運用を離脱し、東大宮操車場に疎開回送の後、2008年(平成20年)1月に長野総合車両センターに回送され解体された。
- 920番台
- 2007年(平成19年)に運用を離脱し、東大宮操車場に疎開回送の後、長野総合車両センターに回送され解体された。
事業用車両
- 1が配置されていたが、東京総合車両センターに転出し、事業用車両の配置は無くなった。
- ^ a b 交友社『鉄道ファン』2023年7月号 「JR旅客会社の車両配置表」
- ^ a b c d e ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2023夏 交通新聞社、2023年、p.68-69。ISBN 9784330024233。
- ^ a b c d e 交友社「鉄道ファン」1997年8月号「103系から209系へ開設35周年を迎える浦和電車区」記事。
- ^ 国労東京地本委員長逮捕 読売新聞 1965年4月30日 夕刊9頁
- ^ 交通新聞社「JR電車編成表2015夏」69頁記事。
- ^ ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2017夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2017年、p.356。ISBN 9784330787176。
- ^ 交友社『鉄道ファン』2019年7月号 「JR旅客会社の車両配置表」
- ^ JR発足後も大阪環状線や大和路線などでも使用していたが、1995年4月より現行のものに変更。
- ^ 『鉄道ファン』 2006年7月号 交友社 POST P169
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