ゾラン・ガイッチとは? わかりやすく解説

ゾラン・ガイッチ

(Zoran Gajić から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/11 14:35 UTC 版)

ゾラン・ガイッチ
Зоран Гајић
基本情報
国籍 セルビア
生年月日 (1958-12-28) 1958年12月28日(65歳)
出身地 パンチェヴォ
ラテン文字 Zoran Gajić
セルビア語表記 Зоран Гајић
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ゾラン・ガイッチセルビア語: Зоран Гајић[1]1958年12月28日 - )は、ユーゴスラビアの男子バレーボール選手、指導者、政治家[2]パンチェヴォ出身。2000年シドニーオリンピックでユーゴスラビアに金メダルをもたらした名将として知られる。

来歴

1980年、ユーゴスラビアリーグのムラドスト・オモリツァで、選手兼コーチとしてバレーボールの指導を始める。1989年から1993年まで、名門クラブのヴォイヴォディナ・ノヴィサドの監督に就任。国内リーグで二度の優勝へと導き、指導者として大きな手腕を発揮した。

1993年、ギリシャリーグへ移り、アリス・テッサロニキ(1993-1995年)、オレスティアダ(1995-1997年)、オリンピアコス(1998-2000年)とクラブを渡り歩いて、監督としてのキャリアを積み上げて行った。2002年にはトルコリーグのアルチェリッキの指導に当たった。2007年からロシアスーパーリーグイスクラ・オジンツォボの監督を務め、2009年ウラル・ウファの監督に就任した。

1995年ユーゴスラビア男子ナショナルチームの監督に就任。1996年アトランタオリンピック銅メダル2000年シドニーオリンピック金メダル2001年欧州選手権の優勝など、主要国際大会で数々のメダルをチームにもたらした。また、2001年にはユーゴスラビアをFIVBランキング1位へと導いた。

アテネオリンピック後の2004年、低迷していた全日本男子の監督に、代理人を通じて自薦という形で立候補を表明した。しかし、全日本監督は植田辰哉に決定し、監督就任には至らなかった。

2005年ロシア男子ナショナルチームの監督に就任。成績不振で辞任。

2007年イラン男子ナショナルチームの監督に就任。2008年2008年北京オリンピックのバレーボール競技・世界最終予選・東京ラウンドで、アジア枠からの出場権獲得を目指したが獲得はならず、監督を辞任した。

2016年からセルビアバレーボール連盟会長、2022年からはセルビア共和国スポーツ大臣英語版を務めている[2][3]

指導歴

脚注

  1. ^ セルビア語ラテン翻字: Zoran Gajić
  2. ^ a b srbija.gov.rs. “Zoran Gajic” (英語). www.srbija.gov.rs. 2024年2月11日閲覧。
  3. ^ Beta, N1 Beograd, Sanja Sovrlić (2022年10月23日). “Predloženi ministri: Martinović, Gašić, Vesić, Negre, Grujičić...” (セルビア語). N1. 2024年2月11日閲覧。

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