鄭楹とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 鄭楹の意味・解説 

鄭楹

(Trịnh Doanh から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/02 17:09 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
鄭楹
明都王鄭楹(『鄭家正譜』より)
各種表記
クォック・グー Trịnh Doanh
漢字チュノム 鄭楹
北部発音: チン・ゾアン
音読み てい えい
テンプレートを表示

鄭 楹(てい えい[1]、チン・ゾアン、ベトナム語: Trịnh Doanh / 鄭楹保泰元年11月5日1720年12月4日) - 景興28年1月5日1767年2月3日))は、後黎朝大越の権臣、東京鄭氏の第9代当主。封号明都王

生涯

安都王鄭棡の四男。鄭棡の跡を継いだ長兄の威南王鄭杠中国語版は横暴な性格で、毎日政事や民衆を省みず酒色に耽ったという。永佑6年(1740年)、後黎朝家臣の阮貴ベトナム語版阮公寀ベトナム語版・武公宰らは鄭杠の母の武氏玉源中国語版の支持を得て、鄭杠を廃して同母弟の鄭楹を擁立した。

鄭杠の代の暴政により、鄭氏に反感を抱いていた北河の民衆は裕宗の子の黎維礻密中国語版[2]といった後黎朝の皇族や将軍士族を頭目に載いて武装蜂起した(北河の農民蜂起ベトナム語版)。黄五福中国語版ら名将の働きや、鄭楹自ら出征することにより蜂起を鎮静させ、鄭氏の統治を強固なものとした。歴代の鄭氏当主には珍しく皇帝であった顕宗中国語版を尊ぶ態度を取り、群臣から尊号を奉られても僭越だとしてこれを認めなかったという。

景興28年(1767年)に死去し、次男の鄭森が跡を継いだ。毅祖廟号を追贈され、恩王された。

出典

  1. ^ 小林知 「鄭楹」、池内宏; 矢野仁一; 橋本増吉編 『東洋歴史大辞典』 中巻(縮刷復刻版) 臨川書店、1986年10月1日、1387頁。ISBN 978-4653014690 
  2. ^ 桜井由躬雄 「ベトナム世界の成立」 『東南アジア史 I 大陸部』、203頁。 

参考文献

先代:
鄭杠
東京鄭氏第9代当主
1740年 - 1767年
次代:
鄭森



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鄭楹」の関連用語

鄭楹のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鄭楹のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの鄭楹 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS