ペリコ・アロンソ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 01:27 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動| この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はアロンソ、第二姓(母方の姓)はオヤルビデです。(Template:スペイン語圏の姓名) |
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1981年のアロンソ
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| 名前 | ||||||
| 本名 | Miguel Ángel Alonso Oyarbide | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | |
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| 生年月日 | 1953年2月1日(68歳) | |||||
| 出身地 | トロサ | |||||
| 身長 | 178cm | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF | |||||
| ユース | ||||||
| トロサCF | ||||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1974-1977 | サン・セバスティアン | |||||
| 1977-1982 | レアル・ソシエダ | 154 | (25) | |||
| 1982-1985 | FCバルセロナ | 52 | (4) | |||
| 1985-1988 | CEサバデル | 103 | (17) | |||
| 代表歴 | ||||||
| 1981 | |
2 | (1) | |||
| 1980-1982 | |
20 | (1) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 1988-1989 | トロサCF | |||||
| 1989-1992 | サン・セバスティアン | |||||
| 1993-1995 | SDベアサイン | |||||
| 1995-1998 | SDエイバル | |||||
| 1998-1999 | エルクレスCF | |||||
| 2000 | レアル・ソシエダ | |||||
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ミゲル・アンヘル・'ペリコ'・アロンソ・オヤルビデ(Miguel Ángel 'Periko' Alonso Oyarbide, 1953年2月1日 - )は、スペイン・ギプスコア県トロサ出身の元サッカー選手、元サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。スペイン代表。
レアル・ソシエダ、FCバルセロナ、CEサバデルの3クラブでプレーし、計10シーズンでプリメーラ・ディビシオン計10シーズンで273試合に出場して42得点を挙げた[1]。1980年から1982年にはスペイン代表としてプレーし、自国開催の1982 FIFAワールドカップに出場した。
経歴
選手としての経歴
ギプスコア県トローサに生まれた。24歳だった1977-78シーズンにレアル・ソシエダでトップチームデビューした。1980-81シーズンには33試合に出場して3得点を挙げ、チームはリーグ初優勝を果たした。1981-82シーズンには31試合に出場して7得点を挙げ、チームはリーグ2連覇を果たした。この黄金期のレアル・ソシエダには、ヘスス・マリア・サトゥルステギ、ヘスス・マリア・サモラ、キーパーのルイス・アルコナーダ、アルベルト・ゴリス、ロベルト・ロペス・ウファルテ、アグスティン・ガハーテ、イナシオ・コルタバリア、若手のホセ・マリア・バケーロなどがいた。
1980年9月24日にハンガリーのブダペストで行われたハンガリー代表との親善試合でスペイン代表デビューした。1981年11月18日にポーランドのウッチで行われたポーランド代表との親善試合で代表唯一の得点を挙げた。2次リーグ敗退に終わった1982 FIFAワールドカップ後にスペイン代表から引退した。
ワールドカップ後の1982年にFCバルセロナに移籍した。1982-83シーズンにはコパ・デル・レイで優勝し、1983-84シーズンにはスーペルコパ・デ・エスパーニャで優勝している。1984-85シーズンにはリーグ優勝したものの、自身は2試合に出場したのみだった。
1985年にはセグンダ・ディビシオンのCEサバデルに移籍し、1985-86シーズンにはプリメーラ・ディビシオン昇格を助けた。1986-87シーズンの第1フェイズは17位だったが、第2フェイズでは15位に順位を上げて降格を回避した。1987-88シーズン終了後にはセグンダ・ディビシオン降格となり、自身も現役から退いた。
代表での得点
| # | 日付 | 都市 | 場所 | 相手 | スコア | 結果 | 大会 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 1981年11月18日 | Stadion ŁKS | 2–3 | 2–3 | 親善試合[2] |
指導者としての経歴
1988年の現役引退後すぐに指導者キャリアを開始し、主にバスク州のクラブの監督を務めた。1998-99シーズンにはセグンダ・ディビシオンのエルクレスCFをセグンダ・ディビシオンBに降格させている。1999-2000シーズンの残り10試合ではレアル・ソシエダの監督を引き受けたが、シーズン終了後に指導者を引退した。
家族
息子のミケル・アロンソとシャビ・アロンソもサッカー選手であり、いずれもミッドフィールダーとしてプレーしている。それぞれレアル・ソシエダでプレーし、シャビ・アロンソはリヴァプールFC、レアル・マドリード、バイエルン・ミュンヘン、スペイン代表でもプレーした[3][4]。
タイトル
- レアル・ソシエダ
- プリメーラ・ディビシオン(2): 1980–81, 1981–82
- FCバルセロナ
- プリメーラ・ディビシオン(1): 1984–85
- コパ・デル・レイ(1): 1982–83
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ(1): 1983
- コパ・デ・ラ・リーガ(1): 1983
脚注
- ^ “Leyendas de la Real Sociedad – Periko Alonso”. エル・ディアリオ・バスコ 2017年4月25日閲覧。
- ^ “2–3: España remontó a Polonia en un final alucinante”. ムンド・デポルティーボ (1981年11月19日). 2017年4月25日閲覧。
- ^ “El pasado azulgrana de Alonso”. プブリコ (2009年9月2日). 2017年4月25日閲覧。
- ^ “Mikel versus Xabi en Tenerife”. エル・ディアリオ・バスコ (2010年2月27日). 2017年4月25日閲覧。
外部リンク
- Periko Alonso - BDFutbolによる個人成績 (英語)
- Periko Alonso - BDFutbolによる監督成績
- ペリコ・アロンソ - National-Football-Teams.com
- Periko Alonso – FIFA主催大会成績
- Spain stats Eu-Football
- ペリコ・アロンソのページへのリンク
