鈴木房重
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/23 15:15 UTC 版)
鈴木 房重(すずき ふさしげ、1914年2月15日 - 1945年6月3日)は日本の陸上競技選手。専門は長距離走。ベルリンオリンピック男子長距離日本代表。身長162cm、体重54kg[2]。
- ^ 日大、史上初4連覇と、伝説の「箱根の職人・宮ノ下の勇者」日本大学 2016箱根駅伝ガイドブック
- ^ a b 鈴木房重 Profile: Sports-Reference.com[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine.
- ^ a b c 曾根 2020, 9-10頁.
- ^ 12th IAAF World Championships In Athletics - IAAF Statistics Handbook Berlin 2009 IAAF. 2010年7月20日閲覧。
- ^ 『日章旗とマラソン』p.24 - 26。このマラソンが3月21日に開催されたことは当時の新聞の縮刷版(読売新聞)でも確認できる。
- ^ 出口庸介編「マラソン・データバンク」(マラソン道路最高記録の変遷)『陸上競技マガジン』1990年3月号、ベースボール・マガジン社、p.171。後述の池中康雄の前の記録は、楠好蔵(坂出青年団)が1933年11月3日の日本選手権で樹立した2時間31分10秒となっている。
- ^ 武田薫(2008-12-09). (2)日大…幻の五輪代表と初の4連覇(1935~38年、16~19回大会) YOMIURIONLINE. 2010年7月20日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 武田薫『マラソンと日本人』朝日新聞出版、2014年、pp.74 - 75
- ^ 『日本陸上競技連盟七十年史』p.686.
- ^ 『日章旗とマラソン』p.251 - 254。朝鮮半島出身の孫と南は「選手団の役員は二人のうちどちらかを落とすつもりでいる」と後からベルリンに向かっていた走り幅跳び代表の朝隈善郎から電報で伝えられ、実力で残るためにハードな練習をコーチに提案した。鈴木が発熱したのはその初日の夜だった。
- ^ 『日章旗とマラソン』p.263 - 264
- ^ 『日章旗とマラソン』p.310
- ^ 『日章旗とマラソン』では、出場したものの13周目から遅れ、「トップから一周後れでゴールインした」とある(p.293)。レースを報じた朝日新聞記事(1936年8月3日付)には「鈴木は次第に遅れ」との記述があるが、ゴールの有無や結果については記載されていない。
- ^ 大日本体育協会『第11回オリンピック大会報告書』p.51。この報告書では陸上競技の結果については入賞(6位)以上しか記載されておらず、ここでも鈴木のレース結果は不明である。
- ^ 『日本陸上競技連盟七十年史』p.59.
- ^ 『日本陸上競技連盟七十年史』p.176.
固有名詞の分類
Weblioに収録されているすべての辞書から鈴木房重を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から鈴木房重を検索
- 鈴木房重のページへのリンク