教義史
(Dogmengeschichte から転送)
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教義史(きょうぎし、ドイツ語: Dogmengeschichte)とは、キリスト教の教義・教理の批判的研究である。教理史とも訳されている。[1]
歴史
批評的教義史は自由主義神学(リベラリズム)によって確立された[2]。ヨハン・フリードリヒ・ヴィルヘルム・イェルーザレムがその創始者である[2]。イェルーザレムは両性説(まことの神、まことの人)や三位一体の教理・教義は聖書に無いとする[2]。
アドルフ・フォン・ハルナックは、キリスト論、受肉の教理・教義をヘレニズム由来としている[2]。
G.S.シュタインバートは、代償的贖罪の教理、原罪についてのアウグスティヌスの教理、贖い、キリストの義の転嫁の教理が「恣意的仮説」であると結論した[2]。
カトリック神学
宗教改革により、カトリックは教会論や教義の歴史的連続性を検証する必要に迫られた。このことは、教父学や公会議史の研究の発達を促した。カエサル・バロニウス枢機卿は、プロテスタントのマグデブルク百年史に対抗して"Annales Ecclesiastici"を編纂し、教会史を通して教義の連続性を擁護した。ただし、この段階ではまだ「教義史」は独立学問ではなく、教会史・論争神学の一部であった[3]。
18世紀には啓蒙主義の影響で、歴史研究がより批判的・資料重視的になる。カトリック内部でも教父学・古代教会研究が精緻化したが、教義発展という概念はまだ十分に理論化されていなかった[4][5]。
19世紀前半、プロテスタント神学でフェルディナント・クリスティアン・バウアらによって教義史が体系的に構築されるという時代背景の中、カトリック側は当初慎重を保ったもの、やがて独自の立場から教義発展を理論化する。決定的役割を果たしたのが聖ジョン・ヘンリー・ニューマンの"An Essay on the Development of Christian Doctrine"である。ニューマンは、教義は「本質を保持しつつ有機的に発展する」と論じ、後のカトリック教義史研究の理論的基盤を与えた。第1バチカン公会議(1870年)後、教義の不変性が強調される一方で、歴史的研究も深化し、カトリック教義史は「不変の真理の歴史的展開」という枠組みで構築された。
20世紀前半、近代主義(Modernismus)論争により、「教義発展」の理解が神学的に問題化された。それでも歴史的研究は深化し、教義史は神学体系の一部として定着する。第二次大戦後、歴史神学はより高度な批判的方法を採用する。教義史は単なる「誤謬との戦いの歴史」ではなく、教会の自己理解の深化の歴史として捉えられようになった。例えば、アロイス・グリルマイヤーはキリスト論の発展を厳密な史料批判に基づいて再構成し、現代カトリック教義史研究の最高水準の一例とされる[6]。
第二バチカン公会議以後、教義の「歴史性」と「発展性」が積極的に強調され、教父学、典礼史、霊性史との学際的統合が進んだ。同時に、保守派とリベラル派の間で、第二バチカン公会議前後の教義の連続性をめぐる解釈(断絶か連続か)が神学的議論の中心となり、現在に至る。
脚注
- ^ ルイス・ベルコフ「キリスト教教理史」日本基督教団出版局1989年
- ^ a b c d e アリスター・マクグラス『キリスト教神学入門』教文館
- ^ Ronnie Po-chia Hsia: The Cambridge History of Christianity, Volume 6: Reform and Expansion 1500–1660. 2007.
- ^ Peter Gay: The Enlightenment: An Interpretation. 1966-1969.
- ^ Jeffrey D. Burson: Reform Catholicism and the International Suppression of the Jesuits in Enlightenment Europe. 2018.
- ^ Alois Grillmeier: Jesus der Christus im Glauben der Kirche. 1979.
参考文献
- 『キリスト教神学入門』アリスター・マクグラス 教文館
- 『キリスト教大辞典』日本キリスト教協議会(NCC)
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