青騎士
【英】:DER BLAUE REITER
【別称】:ブラウエライター
1911年ドイツで革新的な目的を持つ芸術家たちがつくった緩やかな組織のグループにつけられた名称。グループの起こりは、1911年、カンディンスキーが、「新芸術家協会」の第3回展に出品を拒否されたことから、フランツ・マルクらと、ミュンヘンのタンホイザー画廊で対抗展を組織し、参加したグループを彼の小作品「青い騎士」にちなんで「青騎士(ブラウエ・ライター)」と命名した。参加者にはマッケ、クレーなどがいた。第2回展は1912年にミュンヘンで、版画を中心に開かれたがこれにはブリュッケのメンバーも参加し、また国際美術展の先駆ともいうべき性格のものであった。1914年の第一次大戦の勃発による解散した。グループには統合するような様式、教義はみられないが、内面的意欲が多様に形づくる形態の差異を示すことが共通の精神的基盤といえる。また、グループは同名の機関紙を発行したが、ここではヨーロッパの前衛芸術家の作品の他に、民芸品や児童画などの作品も評価し、現代的芸術観の礎石となった。
青騎士
(DER BLAUE REITER から転送)
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青騎士(あおきし、ブラウエ・ライター[1]、ドイツ語: der Blaue Reiter)は、1912年にヴァシリー・カンディンスキーとフランツ・マルクが創刊した綜合的な芸術年刊誌の名前であり、またミュンヘンにおいて1911年12月に集まった主として表現主義画家たちによる、ゆるやかな結束の芸術家サークルである。日本語では「青騎手」とも訳される。
注釈
出典
- ^ 『青騎士』 - コトバンク
- ^ 高階秀爾(監修)『まんが西洋美術史3』美術出版社 1994年 p.78 ISBN 4-568-26003-5
- ^ Ibid. p.p.78-79
- ^ マリサ・ヴォルピ・オルランディーニ(著), 乾由明(訳)『カンディンスキーと青騎士』ファブリ/平凡社 昭和49年 p.13
- ^ 西田秀穂 年刊誌《青騎士》の表紙絵 「東北大学文学部研究年報」1966年通号16 p.41
- ^ 『カンディンスキーと青騎士』p.13
- ^ Wassily Kandinsky: Über das Geistige in der Kunst, zit. nach Taschenbuchausgabe München 2002, S. 93 から翻訳
- ^ カンディンスキー/マルク(編)、岡田素之・相澤正己(訳)『青騎士』白水社 2007 p.5 ISBN 978-4-560-02713-4
- ^ 『カンディンスキーと青騎士』p.19 および 『青騎士』
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