ブラウニー・マギーとは? わかりやすく解説

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ブラウニー・マギー

(Brownie McGhee から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/21 04:32 UTC 版)

ブラウニー・マギー
マギー(1982年)
基本情報
原語名 Brownie McGhee
出生名 Walter Brown McGhee
生誕
死没
ジャンル
職業 ミュージシャン
担当楽器
活動期間 1930年代 - 1995年
レーベル
共同作業者 サニー・テリー
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ブラウニー・マギーBrownie McGhee1915年11月30日 - 1996年2月16日 [1])は、ピードモント・スタイルアメリカ合衆国のブルース、フォーク・ギタリスト、歌手である。ハーモニカ奏者のサニー・テリーとの活動で特に知られている[2]

来歴

マギーはテネシー州ノックスヴィルに生まれ、同州キングスポートで育った[3]。4歳の頃、彼はポリオを発症し、その後遺症から右脚が不自由となった。「Drinkin' Wine Spo-Dee-O-Dee」を歌って知られようになったミュージシャンの弟スティック・マギーは[4]、カートに乗ったブラウニーを杖(スティック)で押していたことからそのニックネームで呼ばれるようになった。彼らの父親ジョージ・マギーは、ユニオン・アヴェニュー界隈でギターを弾き歌った工場労働者であった。ブラウニーの叔父は、マシュマロのブリキ缶と板を使ってギターを制作し、彼に与えた[5]

マギーは幼少期から地元のボーカル・ハーモニー・グループ、ゴールデン・ヴォイセズ・ゴスペル・カルテットで歌い、独学でギターを学ぶなど音楽漬けの生活を送った。彼はまた5弦のバンジョーやウクレレ、ピアノも習得しプレイした[4]。非営利組織のマーチ・オヴ・ダイムズが出資したことにより彼は手術を受け、歩けるようになった[6]

22歳の頃、マギーはミュージシャンとして旅に出るようになり、ラビット・フット・ミンストレルズの一員として活動、ブラインド・ボーイ・フラーと出会って親交を深め、彼のギターから多大な影響を受けた。1941年にフラーが亡くなった後、コロムビア・レコードのJ.B.ロングはマギーを「ブラインド・ボーイ・フラーNo.2」として宣伝した[7]。その頃、マギーはコロムビア傘下のオーケー・レコードと契約し、シカゴでレコーディングをするようになったが、彼が真の意味で成功を掴んだのは1942年にニューヨークに移住し、サニー・テリーとコンビを組んでからであった。テリーはフラーのハーモニカ奏者だったことから1939年に両者は知り合っていた[7]。両者の組み合わせは即成功へ繋がった。彼らは1980年頃までレコーディングとツアーを続けている[7]。1958年から1980年の間、マギーは毎年1年の11ヶ月をテリーとのツアーやレコーディングに費やし、デュオ名義で多くのアルバムをリリースするなど、デュオを中心として活動した[8]

テリー&マギーはピュアなフォーク・アーティストとして白人の聴衆に向けて演奏することで名声を得たが、1940年代には「ブラウニー・マギー・アンド・ヒズ・ジューク・ハウス・ロッカーズ」、「サニー・テリー・アンド・ヒズ・バックショット・ファイヴ」などの名義でサクソフォーンやピアノを入れたジャンプ・ブルースも展開し、チャンピオン・ジャック・デュプリーやビッグ・チーフ・エリスらとも共演している。彼らはブロードウェイのミュージカル・コメディ『フィニアンの虹(Finian's Rainbow)』、『熱いトタン屋根の猫(Cat On A Hot Tin Roof)』のオリジナル・キャストでもあった。

1960年代に起こったブルース・リヴァイヴァルの中で、テリー&マギーはコンサートや音楽フェスティバルで人気を博した。彼らはときに新しい曲を演奏することもあったが、多くの場合当時の聴衆の好みに合わせ、彼らのルーツに忠実な演奏を行なっている[8]

後年になり、マギーは小さな役で映画やテレビ番組に出演した。彼とテリーは1979年のスティーヴ・マーティンのコメディ『天国から落ちた男(The Jerk)』に出演した。1987年には、マギーはサスペンス映画『エンゼル・ハート(Angel Heart)』において、不運のブルース歌手、トゥーツ・スウィート役で、印象的なパフォーマンスをしている。評論家のロジャー・イーバートはこの映画の評の中でマギーについて触れ「彼のパフォーマンスは、演じることができる年配のミュージシャンは(ラウンド・ミッドナイトに出演したサクソフォーン奏者の)デクスター・ゴードンだけではないことを証明した。」と彼を絶賛した[9]。マギーは1988年にテレビドラマ・シリーズ『ファミリー・タイズ(Family Ties)』の「The Blues, Brother」と題したエピソードに出演、架空のブルースマン、エディ・デュプリーを演じた。彼はまた、1989年にテレビ・シリーズ『マトロック(Matlock)』のエピソード「The Blues Singer」において、ジョー・セネカ演じる殺人の疑いをかけられた男の歌声とギター・プレイを担当している。マギー、セネカ、そしてアンディ・グリフィスは「Midnight Special」を共演した。

マギーのギターの教え子であったハッピー・トラウムは、1971年出版のギターのソングブック付き教則本『Guitar Styles of Brownie McGhee』の編集を担当した。この中でマギーはレッスンの合間に彼の人生とブルースについて語っている。自伝的な部分ではマギーは、自身の幼少期や音楽を始めたときのこと、また1930年代以降のブルースの歴史について説明している。

マギーはテリーと共に1982年、米国政府の授与する民族芸術、伝統芸術の最高の栄誉である国立芸術基金(NEA)のナショナル・ヘリテージ・フェローシップ(日本の人間国宝に相当)を受賞した[10]。この年は同賞の設立された年であり、この年の受賞者は、最初の受賞者であった。

マギーの最後のコンサートの一つは1995年のシカゴ・ブルース・フェスティバルへの出演であった[3]。彼は1996年2月16日胃がんのため、カリフォルニア州オークランドで死去した。80歳であった[11]

2024年の映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN(A Complete Unknown)』の中でテリー&マギーの演奏シーンがあるが、マギー役はジョシュア・ヘンリーが演じている[12]

ディスコグラフィー

ソロ作

  • 1951年『Traditional Blues, Vol. 1』(Folkways)
  • 1955年『Brownie McGhee Blues』(Folkways) ※サニー・テリー参加
  • 1959年『Brownie McGhee Sings The Blues』(Folkways)
  • 1960年『Traditional Blues, Vol. 2』(Folkways)
  • 1962年『Brownie's Blues』(Bluesville) ※サニー・テリー参加
  • 1976年『Blues Is Truth』(Blue Labor)
  • 1985年『Facts Of Life』(Blues Rock'It) ※フォード・ブルース・バンドとの共演

ソロ作(コンピレーション)

  • 1991年『The Folkways Years, 1945–1959』(Smithsonian Folkways)

サニー・テリーとのデュオ

  • 1944年『Songs for Victory: Music for Political Action』(Asch) ※ザ・ユニオン・ボーイズのメンバーとして
  • 1952年『Get On Board: Negro Folksongs By The Folkmasters』(Folkways) ※コヤル・マクマハンとの共演*
  • 1955年『Brownie McGhee Blues』(Folkways) ※ブラウニー・マギーのソロ名義
  • 1958年『Sonny Terry & Brownie McGhee』(Fantasy)
  • 1958年『Brownie McGhee and Sonny Terry Sing』(Folkways)
  • 1958年『Back Country Blues』(Savoy)
  • 1958年『Sonny Terry and Brownie McGhee In London』(Pye Nixa)
  • 1959年『Blues With Big Bill Broonzy, Sonny Terry and Brownie McGhee』(Folkways) ※ビッグ・ジョー・ウィリアムズとの共演
  • 1960年『Down South Summit Meetin'』(World Pacific) ライトニン・ホプキンス、ビッグ・ジョー・ウィリアムズとの共演
  • 1960年『Blues Is My Companion』(Columbia)
  • 1960年『Blues Is A Story』(World Pacific)
  • 1960年『Blues & Folk』(Prestige Bluesville)
  • 1960年『Down Home Blues』(Prestige Bluesville)
  • 1960年『Just A Closer Walk With Thee』(Fantasy)
  • 1960年『Pick A Bale Of Cotton』(Janus)
  • 1961年『Blues All Around My Head』(Prestige Bluesville)
  • 1961年『Blues In My Soul』(Prestige Bluesville)
  • 1961年『Down Home Blues』(Sharp)
  • 1961年『Ain't Gonna Study War』(Choice)
  • 1961年『Sonny Terry's New Sound: The Jawharp in Blues and Folk Music』(Folkways) ※サニー・テリーのソロ名義、J.C.バリスとの共演
  • 1962年『At The 2nd Fret』(Prestige Bluesville)
  • 1962年『Brownie's Blues』(Prestige Bluesville) ※ブラウニー・マギーのソロ名義
  • 1962年『At Sugar Hill』(Fantasy)
  • 1962年『Shouts & Blues』(Fantasy)
  • 1963年『Blues Hoot Live Recording At The Ash Grove』(Horizon) ※ライトニン・ホプキンス、ビッグ・ジョー・ウィリアムズとの共演
  • 1965年『At The Bunkhouse』(Smash)[13]
  • 1963年『Sonny Is King』(Bluesville) ※サニー・テリーのソロ名義
  • 1965年『Home Town Blues』(Mainstream)
  • 1965年『Sing And Play』(Society)
  • 1967年『Whoopin' The Blues』(Capitol)
  • 1969年『Brownie & Sonny』(Everest)
  • 1969年『A Long Way From Home』(Bluesway)
  • 1973年『I Couldn't Believe My Eyes』(Bluesway) アール・フッカーとの共演
  • 1973年『Sonny & Brownie』(A&M)
  • 1973年『Hootin' And Hollerin'』(Olympic)
  • 1973年『Book Of Numbers Original Motion Picture Soundtrack Recording』(Brut)
  • 1975年『Brownie McGhee And Sonny Terry』(Storyville)

脚注

  1. ^ Doc Rock. “The Dead Rock Stars Club 1996–1997”. Thedeadrockstarsclub.com. 2025年6月4日閲覧。
  2. ^ Paul Du Noyer (2003). The Illustrated Encyclopedia of Music. Fulham, London: Flame Tree Publishing. p. 181. ISBN 1-904041-96-5 
  3. ^ a b Bill Dahl. “Brownie McGhee: Biography”. AllMusic. 2025年6月4日閲覧。
  4. ^ a b Edward Komara; Peter Lee (July 2004). The Blues Encyclopedia. Routledge. p. 671. ISBN 9781135958312. https://books.google.com/books?id=Hwk3AgAAQBAJ&q=brownie+mcghee&pg=PA671 2016年11月8日閲覧。 
  5. ^ Jack Neely (1995年). Knoxville's Secret History. Scruffy City Publishing.
  6. ^ Brownie McGhee” (英語). Blues Foundation. 2025年6月4日閲覧。
  7. ^ a b c Giles Oakley (1997). The Devil's Music. Da Capo Press. pp. 190–192. ISBN 978-0-306-80743-5. https://archive.org/details/devilsmusichisto00oakl_0/page/190 
  8. ^ a b Colin Larkin, ed (1995). The Guinness Who's Who of Blues (Second ed.). Guinness Publishing. pp. 262–263. ISBN 0-85112-673-1 
  9. ^ Roger Ebert (1987年3月6日). “Angel Heart”. Chicago Sun-Times. オリジナルの2011年5月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110527034300/http://rogerebert.suntimes.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/19870306/REVIEWS/703060301/1023 2010年7月29日閲覧。 
  10. ^ NEA National Heritage Fellowships 1982”. Arts.gov. National Endowment for the Arts. 2020年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月22日閲覧。
  11. ^ Philip Elwood (1996年2月19日). “Walter 'Brownie' McGhee, blues composer, performer”. Houston Chronicle (Houston, Texas): p. 10. https://www.chron.com/news/article/Walter-Brownie-McGhee-blues-composer-performer-3151071.php 2025年6月4日閲覧。 
  12. ^ A Complete Unknown (2024): Cast & Crew”. AllMovie (2025年). 2025年6月4日閲覧。
  13. ^ Sonny Terry & Brownie McGhee, At the Bunkhouse: Songs, Reviews, Credits”. AllMusic. 2015年10月7日閲覧。

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