651年(永徽2年)とする説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 08:31 UTC 版)
「中国におけるイスラームの歴史」の記事における「651年(永徽2年)とする説」の解説
『旧唐書』や『通典』、『冊府元亀』の永徽2年の部分に「乙丑八月大食国始めて使を遣わし朝貢す」という記述がある。第3代正統カリフのウスマーンが派遣した使節がこれにあたるとされている。ただし、金 & 溥 (2015)において溥統先はイスラームと中国の正式な関係が651年に発生したと述べたうえで、当時は交易が盛んだったこともあり、651年より前からムスリムが中国にいただろうとしている。また、長谷部 (2015)は同様の意見を述べたうえで「象徴的、かつ便宜的に651年を伝来の年とする」としている。
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