4つの集落と近隣民族との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 06:10 UTC 版)
「サアロア族」の記事における「4つの集落と近隣民族との関係」の解説
昔、サアロア族は排剪社(Paiciana)、美壠社(Vilanganʉ)、塔蠟社(Tararahluvu またはTalicia)、雁爾社(HlihlalaまたはKalʉvʉnga)の、大きく4つの集落に分かれていた。それに隣にある大武壠社、霄里社、芒仔芒社と茄拔社、この四つの集落に居住していた平埔族・タイボアン族(大武壠族)の「四社熟番」に対し、「四社生番」という呼ばれ方をしていた。また、山の下にあるルカイ族(魯凱族)の茂林(Teldrika)、万山('Oponoho)、多納(Kongadavane)、この三つ集落の「下三社番」に対し、「頂四社」と「上四社番」という呼称もあった。 塔蠟社のサアロア族は、交通が不便なため、排剪社に移住して合併した。 現在のサアロア族の4集落の分布: 1.排剪社(Paiciana):高雄市桃源区高中里の草水部落、高中部落である。 2.美壠社(Vilanganʉ):高雄市桃源区高中里の美蘭部落である。 3.雁爾社(Hlihlala):高雄市桃源区桃源里の四社部落である。 4.那爾瓦社(Na'ʉvuana):高雄市那瑪夏区里の瑪雅部落である。近代、美壠社のサアロア族が移住してきたケースである。 日本統治時代の1930年代より、台湾総督府はブヌン族の集団移住政策を推し進め、この地域にも断続的にブヌン族(布農族)の移入が続いた。ブヌン族と婚姻関係を結び、言葉も人口の多いブヌン語になり、サアロア族は一度ブヌン族化の危機に晒されるようになった。
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