1992年- ATPシングルス初タイトル 日本男子シングルス最高位
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翌1992年には4月のソウル・オープン(英語版)決勝で、トッド・ウッドブリッジを6-3、4-6、7-5のフルセットで下し、日本の男子選手として初のATPツアーシングルス優勝を達成。同年6月のクイーンズ・クラブ選手権では2回戦でマラビーヤ・ワシントンを4-6, 7-5, 6-3の逆転で、3回戦で第5シードのゴラン・イワニセビッチを6-4, 6-3でそれぞれ下すと、準決勝では当時世界ランク2位のステファン・エドベリと対戦。これを1-6, 7-6(6), 10-8の接戦で制す番狂わせを演じ、ウェイン・フェレイラとの決勝戦に進出。決勝ではフェレイラに3-6, 4-6のストレートで敗れ準優勝に終わったが、この活躍により翌週のATPシングルスランキングで自己最高の46位を記録した。この順位は2011年10月17日に錦織圭が更新するまで日本の男子選手が記録したシングルス最高位であった。しかし、同年末に伝染性単核球症に罹患し、またも長期の入院生活を余儀なくされる。
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