峰厚介とは? わかりやすく解説

峰厚介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/16 05:33 UTC 版)

峰厚介
出生名 峰厚介
生誕 (1944-02-06) 1944年2月6日(80歳)
出身地 日本 東京都 文京区湯島
ジャンル ジャズ
職業 サクソフォーン奏者、作曲家
担当楽器 サクソフォーン
活動期間 1963年 -
共同作業者 ネイティブ・サン
公式サイト aomori-net.ne.jp/~yamagen/mine

峰 厚介(みね こうすけ、1944年2月6日 - )は、日本のジャズテナーサクソフォーン奏者[1]

略歴

東京都湯島出身。寿司屋の息子として生まれる。東邦音楽大学附属高等学校出身。

1962年、加藤久鎮クインテットに入り、新宿ミラノ座地下、ミラノクラブでアルト・サックスを吹くようになった。 1963年アルト・サックス奏者として本格的に音楽活動を開始し、1969年の菊地雅章バンドへの参加を皮切りに、広く知れ渡る。

ジョン・コルトレーンに心酔し、1971年よりテナー・サックスも吹き始める。

1971年ジョー・ヘンダーソン『Joe Henderson And Kikuchi, Hino In Concert』(Fontana)、マル・ウォルドロン『Mal : Live 4 To 1』(日本フォノグラム / Philips)のライブ録音で共演した。

1976年ギル・エヴァンス『Tokyo Concert』(West Wind)、『東京Concert 1976』(スタジオソングス)のライブ録音でルー・ソロフと共演した。

一時渡米、帰国後1978年には、本田竹広らとジャズフュージョングループとして人気を博したネイティブ・サンを結成。その後も、Four Sound(板橋文夫井野信義村上寛)、峰クィンテット(峰厚介、秋山一将、大口純一郎、古澤良治郎岡田勉)、QuietStoRm(秋山一将、石渡明廣、峰厚介、岡田勉、Cecil Monroe)などで活躍。

1988年、ジョージ・ラッセル英語版『New York / The 4th Tokyo Music Joy '88』(キングレコード)の録音でルー・ソロフ、レイ・アンダーソンと共演した。

ディスコグラフィ

リーダー作品

  • 『モーニング・タイド』
  • 『ミネ』
  • 『セカンド・アルバム』
  • 『ダグリ』
  • 『Out Of Chaos(アウト・オブ・ケイオス)』
  • 『ソリッド』
  • 『サン・シャワー』
  • 『Major to Minor』
  • 『DUO』
  • 『In A Maze(イン・ナ・メイズ)』
  • 『BALANCEZ(バランセ)』
  • 『RENDEZVOUS』
  • 『Bamboo Grove』

脚注

  1. ^ プロフィール Kosuke Mine official website. 2025年1月16日閲覧。

関連項目

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