齋藤幸夫とは? わかりやすく解説

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斎藤幸夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/08 06:23 UTC 版)

斎藤 幸夫
基本情報
国籍 日本
出身地 東京府
生年月日 (1941-09-07) 1941年9月7日(82歳)
身長
体重
173 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1963年
初出場 1964年
最終出場 1966年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

斎藤 幸夫(さいとう ゆきお、1941年9月7日 - )は、東京府[1]出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手

来歴・人物

桐朋高等学校から早稲田大学に進学[1]東京六大学野球リーグでは、1960年秋季リーグでいわゆる早慶六連戦による優勝を経験するが、その後はチームの低迷が続き優勝には届かなかった。大学同期には内野手の岡田紀明(河合楽器高松商監督)、杉浦藤文中京高監督-中京大監督)、外野手大井道夫らがいた。

1963年大毎オリオンズ に入団[1]。翌1964年に一軍に上がり、6試合に遊撃手二塁手として先発出場。1965年山崎裕之篠原良昭と遊撃手の定位置を争い、25試合に先発を果たす。その後は出場機会が減少、1966年限りで引退した[1]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1964 大毎
東京
26 21 15 3 3 1 0 0 4 0 0 1 3 0 3 0 0 3 1 .200 .333 .267 .600
1965 67 108 96 8 19 3 1 3 33 9 3 1 2 2 7 0 1 15 1 .198 .260 .344 .603
1966 24 22 20 5 3 1 0 0 4 1 0 0 1 0 1 0 0 7 1 .150 .190 .200 .390
通算:3年 117 151 131 16 25 5 1 3 41 10 3 2 6 2 11 0 1 25 3 .191 .255 .313 .568

背番号

  • 40 (1963年 - 1965年)
  • 42 (1966年)

脚注

  1. ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、238ページ

関連項目

外部リンク




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