黒崎村_(長崎県)とは? わかりやすく解説

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黒崎村 (長崎県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/27 22:19 UTC 版)

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くろさきむら
黒崎村
廃止日 1955年2月11日
廃止理由 新設合併
神浦村黒崎村外海村
現在の自治体 長崎市
廃止時点のデータ
日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
西彼杵郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 5,812
国勢調査、1950年)
隣接自治体 西彼杵郡神浦村三重村
黒崎村役場
所在地 長崎県西彼杵郡黒崎村下黒崎郷
座標 北緯32度50分13秒 東経129度42分31秒 / 北緯32.83703度 東経129.70867度 / 32.83703; 129.70867 (黒崎村)座標: 北緯32度50分13秒 東経129度42分31秒 / 北緯32.83703度 東経129.70867度 / 32.83703; 129.70867 (黒崎村)
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黒崎村(くろさきむら)は、長崎県西彼杵半島にあった村。西彼杵郡に属した。1955年(昭和30年)に北隣[1]神浦村と合併し、外海村となった。

現在の長崎市外海地区の南部にあたる。

地理

西彼杵半島の西南部に位置し、西の海岸線を角力灘(五島灘)に接する。

  • 山:土佐賀山、クルマキ山
  • 河川:黒崎川、出津川
  • 港湾:黒崎漁港

沿革

近世の黒崎村は大村藩領の外海地区[2]佐賀藩深堀領との相給であった。村内は出津集落をはじめとした各所でいわゆる隠れキリシタンと呼ばれたキリスト教信者が多く居住する。

地名

を行政区域とする。黒崎村は1889年の町村制施行時に単独で自治体として発足したため、大字は無し。

  • 赤首郷
  • 上黒崎郷
  • 下黒崎郷
  • 永田郷
  • 西出津郷(にししつ)
  • 東出津郷(ひがししつ)
  • 牧野郷

名所・旧跡

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1955年2月1日
  2. ^ 外海(そとめ)とは西彼杵半島の西岸(角力灘沿岸)一帯を指す。対して同半島の東岸(大村湾沿岸)一帯を内海(うちめ)という。
  3. ^ 外海町を経て長崎市に編入後の2011年(平成23年)に国の重要文化財に指定された。

参考文献

関連項目




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