麻布派と本郷派
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1925年(大正14年)6月、『青空』第5号(7月1日発行)の準備の頃から7名中の同人の間に、下宿の居住地域などの違いで「麻布派」と「本郷派」という呼び名ができ、やや対立的なものが生れた時があった。 最初は冗談で言っていたが、同人会の議論の場で、「本郷派は困るなあ」などという言い合いが出始め、様々なことがその対立のせいのように梶井基次郎には思えて、疑心暗鬼になったこともあった。 麻布派:梶井基次郎、外村茂、淀野隆三 本郷派:中谷孝雄、浅沼喜実、忽那吉之助 夏休みの頃になり、外村茂の父親が麻布市兵衛町の家を引き払ったため、外村は千葉県東葛飾郡市川町(現・市川市)に移り、淀野隆三も小石川区小日向台町(現・文京区小日向)に引っ越した。彼らとの密な交流が減ってしまった梶井は、中谷孝雄が裏で煽動したのではないかと妄想したこともあったが、じきにこの対立感は自然消滅した。
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