(六代)鳥飼郷右衛門・右仲
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「鳥飼家」の記事における「(六代)鳥飼郷右衛門・右仲」の解説
宝永2年(1705年)9月、召し出され三人扶持30俵を下され、馬廻を仰せ付けられた。宝永7年(1710年)4月、御賄役(まかないやく)を仰せ付かった。 正徳2年(1712年)2月に祖父の家督を親郷右衛門へ100石、隠居へ三人扶持30俵を賜った。同年4月親が隠居を仰せ付けられ職を免ぜられた。斎聖院(松平定逵)の代、正徳3年(1713年)7月に横目役を仰せ付かり、同5年(1715年)11月には大小納戸役を仰せ付かりさらに、享保2年(1717年)8月に御歩行頭役を仰付かった。さらに、御次番役を仰付かり、白川表において30石の加増を頂戴した。 その後老年となり役を務め難くなりと申し上げたところ、役を免じられ、馬廻役を相務めた。 ■寛延3年(1750年)10月4日没。法名、中想院信威義道居士。
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