高知県畜産組合連合会による競馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 02:15 UTC 版)
「競馬の歴史 (四国地方)」の記事における「高知県畜産組合連合会による競馬」の解説
1916年、南海馬匹改良株式会社が高知市桟橋通5丁目に1周約800mの競馬場(桟橋競馬場)を建設し, 1921年から同競馬場において高知県畜産組合連合会が定期的に競馬を開催するようになった。当初は高知県内生産馬の能力が著しく低かったために公認競馬で競走経験のある馬に太刀打ちできず、速歩競走は県内産馬限定競走とされた。 1927年に地方競馬規則が公布された後は地方競馬として競馬の開催は続けられ、同年春からは土佐山田競馬場(香美郡土佐山田町)においても地方競馬が行われるようになった。なお、土佐山田競馬場における開催は1933年春をもって廃止となり、かわって長浜競馬場(吾川郡長浜町)において開催されるようになった。 1939年、軍馬資源保護法公布により地方競馬は軍用保護馬鍛錬競走に切り替えられ、長浜競馬場は軍用保護馬の鍛錬場となり, 1940年から1944年まで軍用保護馬鍛錬競走が行われた。また、桟橋競馬場は廃場となった。
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