高橋潔の適性教育
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/26 19:30 UTC 版)
「バイリンガルろう教育」の記事における「高橋潔の適性教育」の解説
大正13年から昭和27年まで大阪市立聾唖学校の校長であった高橋潔(聴者)は、昭和初年頃から日本に導入された口話法教育に対し、その一定の有効性を認めて自校に取り入れつつも、手話法を必要とする聴覚障害児も多いことを断固主張し、それぞれの適性に応じて口話法、手話法を適用する「適性教育(ORAシステム)」を開発、実践した。 こうした高橋の教育については、バイリンガルろう教育の先駆的事例として評価する見方がある一方、高橋のろう者観・ろう教育観は当時の「慈善行為としての障害児者教育」の範疇を出るものではなかったことに注目し、ろう者やろう文化を聴者・聴者文化に劣るものではないと位置づける現代のバイリンガルろう教育とは異質なものであると指摘する意見もある。
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