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高木英次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/07 03:12 UTC 版)

高木 英次郎(たかぎ えいじろう、1852年1月8日嘉永4年12月28日) - 1904年(明治37年)6月2日)は、幕末佐賀藩士明治期の海軍軍人佐賀市水ヶ江出身。最終階級は海軍少将(死後昇進)。栄典は従四位勲三等功四級。

経歴

1852年、佐賀藩士高木彌左衛門の第2子として生まれる。藩校弘道館に学んだのち、1865年(慶応元年)佐賀藩の海軍兵学校「船手稽古所」(三重津海軍所の当時における呼称)に入校。戊辰戦争には佐賀藩艦甲子丸の乗員として出征した。1871年(明治4年)燈台寮技術見習を拝命。1874年(明治7年)海軍少尉に任官した。さらに1876年(明治9年)には鳳翔乗員として西南戦争に出征。1883年(明治16年)には龍驤乗員の一員として、南米への遠洋航海や翌年の甲申事変への対応を行った。

その後扶桑航海長、水路部測量班長、扶桑副長、磐城艦長、水路部図誌科長、同測量科長を経て、日清戦争連合艦隊航海長として旗艦松島に乗艦。黄海海戦などに参加、威海衛攻略で負傷したものの戦後大佐に昇進。山城丸艦長、横須賀知港事、葛城艦長、秋津洲艦長、和泉艦長、呉海兵団長、水路部測量課長を歴任し1903年(明治36年)7月待命。翌年5月に死去した。54歳。6月少将に進み特旨を以て従四位に叙され青山墓地に葬られた。

栄典・授章・授賞

位階
勲章等

脚注

出典

  1. ^ 『官報』第5937号「叙任及辞令」1903年4月21日。
  2. ^ 『官報』第6276号「叙任及辞令」1904年6月3日。
  3. ^ 『官報』第3676号「叙任及辞令」1895年9月28日。
  4. ^ 『官報』第3858号・付録「辞令」1896年5月12日。
  5. ^ 『官報』第3879号「叙任及辞令」1896年6月5日。



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