高井藩とは? わかりやすく解説

高井藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 01:43 UTC 版)

高井藩(たかいはん)[要出典]は、信濃国に存在した尾張藩支藩。尾張藩2代藩主・徳川光友の次男である松平義行(四谷松平家(高須松平家)の祖)が、1681年に高井水内伊那3郡内で3万石を与えられて成立した。1700年に領地の半ばが交換され、新たに領地となった美濃国高須が居所と定められたために、これ以後の松平義行の藩は高須藩と呼ばれることになる。伊那郡内1万5000石の領地については高須藩の飛び地領として明治維新期まで残った[1]


注釈

  1. ^ 『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』の「松平義行」の項目では、封地を「信濃高取」とする[2]。『日本大百科全書(ニッポニカ)』の「高須藩」の項目では、義行は「信濃高取領主」であったとする[3]。『角川日本地名大辞典』の「尾張藩」[4]・「高須藩」[5]の項目では義行の封地を「信濃高取」とする。高須松平家に関する岸野俊彦の論文(2014年)では、松平義行の封地を「信濃国伊那郡高取」とする[6]
  2. ^ 『角川日本地名大辞典』の「新野村(近世)」の項目では、この村が「尾張支藩領」であったとするほかに、「高取藩」の陣屋が置かれたという説明が見られる。ただしこの項目では「尾張支藩」と「高取藩」が同一であるという説明を欠いている[7]
  3. ^ 『徳川諸家系譜 3』p.37では「信濃国高取」とある。
  4. ^ たとえば早稲田大学図書所蔵の大日本国大絵図信濃国付近の図でそのような描写を確認できる。
  5. ^ 同時代に松代藩が作成した「水内郡・更級郡・埴科郡・高井郡 四郡絵図面」(信州デジタルコモンズ)でも、他藩については「松本領」「上田領」などとあるところ、地名を冠さず「松平摂津守様領」などとして記される(上部の「北」という文字の右方に「此嶺切」「此澤切」「松平摂津守様領」と記されている)。
  6. ^ 『角川新版日本史辞典』「近世大名配置表」(近世大名の一覧表)は、信濃国内で藩庁所在郡不明の「松平義行領」として掲出する[9]。長野県の地方史家で天竜川の治水の研究者である松沢武の論文(1986年)でも、高須移転以前の「藩」に特定の地名を付さず、単に「松平義行領」としている[10]
  7. ^ 『角川日本地名大辞典』の「新野村(近世)」の項目では「尾張支藩領」とする(ほかに「高取藩」の文字が見られる)[7]
  8. ^ 信州デジタルコモンズでの「水内郡・更級郡・埴科郡・高井郡 四郡絵図面」解説文では「尾張支藩松平義行領」と記す。長野市公文書館の所蔵資料目録(一例として複製資料 近世 さ~せ)では近世史料の伝来地の分類に「行政区分領知」を設けており、「尾張支藩松平義行領」を用いている。
  9. ^ 『角川日本地名大辞典』の「竹佐村(近世)」の項目では、天和元年(1681年)より高須藩領とする[1]
  10. ^ 赤丸は本文内で藩領として言及する土地。青丸はそれ以外。
  11. ^ 義行についての叙述で、光友が尾張藩主であった時代に義行は将軍代替わりの際を例外として、単独での参府を行っていないとある[11]。徳川綱吉の死去は義行が高須に移ってからである。
  12. ^ 中世末期以来「片桐領」と呼ばれた地域で[14]、江戸時代初頭には伊那街道片桐宿を含めた「片桐七か村」が成立した(総称して「片桐村」と呼ばれた)。寛文12年(1672年)に飯田藩領から幕府領に移された際に片桐陣屋(現在の松川町上片桐)が設けられ[15]、延宝5年(1677年)には伊那街道飯島町に新設された飯島陣屋にその機能が移された[16]
  13. ^ 元禄4年(1691年)に小笠原貞信越前勝山藩に移ったために幕府領になっていた[13]。揖斐川・長良川などに囲まれた土地で、小笠原家は水害対策に苦闘した末に願い出て転出したとされる[13]
  14. ^ 高井郡には大小の私領が置かれてその後収公された関係で、多数の陣屋が置かれた[18]。新野陣屋もそれらの一つで、元禄16年(1703年)時点では市川孫右衛門が5か所の陣屋支配を兼帯していた[20]
  15. ^ 竹佐村の近隣に山本村(現在の飯田市山本)がある[25][26]。『千曲之真砂』によれば、山本村はもともと大きな郷であったために、近隣の村をも含めて「山本村」と呼ぶのであろうとする[24]。なお、山本村や竹佐村などは明治時代に合併して「山本村」を編成している。

出典

  1. ^ a b c 竹佐村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年1月18日閲覧。
  2. ^ 松平義行”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2023年1月18日閲覧。
  3. ^ 高須藩”. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2023年1月18日閲覧。
  4. ^ 尾張藩(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年1月18日閲覧。
  5. ^ 高須藩(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年1月18日閲覧。
  6. ^ a b c d e f 岸野俊彦 2014, p. 427.
  7. ^ a b c d 新野村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年1月18日閲覧。
  8. ^ a b c d e 『千曲之真砂』巻之十「信州高取城有無之説」、国立国会図書館デジタルコレクション所蔵の明治期の刊本の当該箇所
  9. ^ 『角川新版日本史辞典』, p. 1307.
  10. ^ 松沢武 1986, p. 38.
  11. ^ a b c d e f g h i 藤田英昭. “『瑞龍公実録』を読む”. 八木書店グループ. 2023年1月18日閲覧。
  12. ^ 松沢武 1986, p. 8.
  13. ^ a b c d e f g h 松沢武 1986, p. 9.
  14. ^ 片桐領(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年1月18日閲覧。
  15. ^ 片桐村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年1月18日閲覧。
  16. ^ 飯島町(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年1月18日閲覧。
  17. ^ 県立長野図書館(回答). “江戸時代の松代藩の領有していた村の分布がわかる地図がみたい。”. レファレンス協同データベース. 2023年1月19日閲覧。
  18. ^ a b c 西沢淳男 1988, p. 124.
  19. ^ 西沢淳男 1988, p. 125.
  20. ^ 西沢淳男 1988, p. 127.
  21. ^ a b 松沢武 1986, p. 6.
  22. ^ 田府高屋 (2020506017)”. 農業集落境界データセット. 2023年1月19日閲覧。
  23. ^ 松沢武 1986, p. 39.
  24. ^ a b 『千曲之真砂』巻之六「山本役所」、国立国会図書館デジタルコレクション所蔵の明治期の刊本の当該箇所
  25. ^ 山本村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年1月18日閲覧。
  26. ^ 山本郷(中世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年1月18日閲覧。


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