飛騨天満宮とは? わかりやすく解説

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飛騨天満宮

読み方:ヒダテンマングウ(hidatenmanguu)

別名 天満

教団 神社本庁

所在 岐阜県高山市

祭神 菅原道真 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

飛騨天満宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/16 07:29 UTC 版)

飛騨天満宮

拝殿
所在地 岐阜県高山市天満町2丁目30
位置 北緯36度8分6.1秒 東経137度15分18.1秒 / 北緯36.135028度 東経137.255028度 / 36.135028; 137.255028座標: 北緯36度8分6.1秒 東経137度15分18.1秒 / 北緯36.135028度 東経137.255028度 / 36.135028; 137.255028
主祭神 菅原道真
社格 金幣社
創建 8世紀
例祭 4月15日
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飛騨天満宮(ひだてんまんぐう)は、岐阜県高山市にある神社天満宮)である。

学問の神様・菅原道真が祭られている。

敷地内には約100本の梅が植樹されており、毎年3月中旬から4月中旬まで梅を楽しむことが出来る。

沿革

社伝によると、903年延喜3年)、飛騨権掾菅原兼茂が父親の菅原道真大宰府で亡くなったことを聞き、祠を建て、自らの手で彫った木像を祀ったのが始まりという。923年延長元年)、菅原兼茂が都に帰るとき、この木像を村民に託したという。菅原兼茂は道真の三男で、901年昌泰4年)の昌泰の変により、他の兄弟と同様に左遷され、飛騨国権掾になっている。

やがて荒廃したが、天正年間に松倉城城主三木自綱により再興される。

1645年正保2年)には、高山城城主金森重頼が社殿を再建する。

2002年(平成14年)、菅原道真没後1100年を記念して太宰府天満宮より、京都から太宰府天満宮まで飛んでいったという伝説の「飛び梅」の子孫である「肥後駒止」「太宰大弐」という紅梅と白梅が神納された。

祭神

  • 菅原道真

文化財

高山市指定文化財
  • 天満神社石造鳥居[1]
高山市指定無形民俗文化財
  • 飛騨天満宮獅子舞[2]

交通機関

脚注

  1. ^ 天満神社石造鳥居”. 高山市. 2013年5月16日閲覧。
  2. ^ 飛騨天満宮獅子舞”. 高山市. 2013年4月25日閲覧。

外部リンク

飛騨天満宮 公式サイト



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