飛んでいる矢は止まっている
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 04:16 UTC 版)
「ゼノンのパラドックス」の記事における「飛んでいる矢は止まっている」の解説
「もしどんなものもそれ自身と等しいものに対応しているときには常に静止しており、移動するものは今において常にそれ自身と等しいものに対応しているならば、移動する矢は動かない、とかれは言うのである。」 アリストテレスは続けて、「この議論は、時間が今から成ると仮定することから生ずる」と述べている。この言から、ゼノンも「時間が瞬間より成る」を前提としていると解される。瞬間においては矢は静止している。どの瞬間においてもそうである。という事は位置を変える瞬間はないのだから、矢は位置を変えることはなく、そこに静止したままである。ゼノンの意が単純にこうであったのかは確定的な事ではない。
※この「飛んでいる矢は止まっている」の解説は、「ゼノンのパラドックス」の解説の一部です。
「飛んでいる矢は止まっている」を含む「ゼノンのパラドックス」の記事については、「ゼノンのパラドックス」の概要を参照ください。
飛んでいる矢は止まっている
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 04:16 UTC 版)
「ゼノンのパラドックス」の記事における「飛んでいる矢は止まっている」の解説
アリストテレスは、時間が「不可分割的な今から成るのではない」としてゼノンを否定する一方、「今においては運動も静止もありえない」として、疑似的な論議と見ている風もある。数学的に見れば、瞬間においては運動も静止もないと見ることも可能であるが、同時に、運動方程式は瞬間における速度を示し得るのであって、言葉の定義の問題に過ぎない。しかし、前者の否定は成り立たない。時間が瞬間より成るとしても、運動は否定され得ない。時間が連続体であれば、時間が瞬間=点よりなり、矢が瞬間=点においては静止しているとしたとしても、動くことは出来る。近代解析学においては、ゼノンの結論は否定されるが、アリストテレスの論議も否定される。
※この「飛んでいる矢は止まっている」の解説は、「ゼノンのパラドックス」の解説の一部です。
「飛んでいる矢は止まっている」を含む「ゼノンのパラドックス」の記事については、「ゼノンのパラドックス」の概要を参照ください。
- 飛んでいる矢は止まっているのページへのリンク