静岡サッカーのはじまり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 05:34 UTC 版)
「静岡ダービー」の記事における「静岡サッカーのはじまり」の解説
1927年、藤枝市(当時は合併前の藤枝町)の旧制県立志太中学校(現在の県立藤枝東高校)でサッカーが校技となり、1936年ベルリンオリンピックに選手を輩出、高校選手権大会では4度の全国優勝を飾る強豪校となる。1952年には天皇杯決勝の開催地となるなど、藤枝市は『サッカーのまち』と呼ばれる。一方、清水市(現在の静岡市清水区)でも1929年に旧制県立庵原中学校(現在の県立清水東高校)で蹴球部が発足。1956年には清水市立江尻小学校を皮切りに次々と小学生チームが誕生、藤枝に追いつくべく1967年に国内初の小学生リーグを発足、選抜チームである清水FCは全日本少年サッカー大会優勝8回を数え、優秀な選手を数多く輩出する『サッカー王国』と呼ばれる所以となった。
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