青柳寺 (相模原市)とは? わかりやすく解説

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青柳寺 (相模原市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/23 22:53 UTC 版)

青柳寺
本堂
所在地 神奈川県相模原市南区上鶴間本町3-7-14
位置 北緯35度32分20.0秒 東経139度26分37.5秒 / 北緯35.538889度 東経139.443750度 / 35.538889; 139.443750座標: 北緯35度32分20.0秒 東経139度26分37.5秒 / 北緯35.538889度 東経139.443750度 / 35.538889; 139.443750
山号 方運山
宗旨 日蓮宗
本尊 大曼荼羅
創建年 1499年(明応8年)に清龍寺として
開山 日朝
中興年 1583年(天正11年)
中興 日題
法人番号 2021005002713
青柳寺
青柳寺 (神奈川県)
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青柳寺(せいりゅうじ)は、神奈川県相模原市南区上鶴間本町に所在する日蓮宗の寺院。山号は方運山。旧本山は小町本覚寺、潮師法縁。鹿島神社が隣接しており、「武相困民党発祥之地碑」等がある[1]

歴史

明応8年(1499年日朝が結んだ草庵・清龍寺が起源。

天正11年(1583年)渋谷義重(足利義昭に仕える武士)が夢の知らせにより、律正院日題に開山を請い、この地の清龍寺を改名し建立。創建した。

明治17年(1884年)に自由民権運動(武相困民党結団)の舞台となったことで知られる。

昭和10年(1935年)10月、『横浜貿易新報』の読者投票により県下名勝史蹟四十五佳選に選定された[2]

昭和56年(1981年)まで使用されていた庫裡は神奈川県指定文化財に指定され、相模川自然の村公園(市内緑区)へ移築、復元されている。

ギャラリー

参考資料

  • 日蓮宗寺院大鑑編集委員会『宗祖第七百遠忌記念出版 日蓮宗寺院大鑑』大本山池上本門寺 (1981年)

関連施設

  • 金井七面社 町田市金井にある仏堂(六角堂)。享保5年(1720年)以前に寿性院善慶日顕信士が開山か。大正15年(1926年)火災のため焼失。昭和30年代前半に現在の堂が再建された。境内には旧本山である青柳寺が再建した鳥居が建つ。

脚注

  1. ^ 文化財調査・普及員通信 さねさし 第6号(p.4) 2006年7月22日 相模原市文化財調査・普及員広報グループ
  2. ^ 百瀬敏夫「1935年神奈川県名勝・史蹟投票」『市史通信』第6巻、横浜市史資料室、2009年、8-10頁。 



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