随念院とは? わかりやすく解説

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随念院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/23 01:19 UTC 版)

随念院(ずいねんいん、?-永禄4年8月2日1561年9月11日))は戦国時代の女性。松平信忠の娘で、実名は久(於久・久子)。初め松平乗勝、後に鈴木重直の妻。松平親乗の母。徳川家康の大叔母にあたり、その養母・乳母的な立場にあった。


注釈

  1. ^ 清康の養女になったということで、通説では清康の「妹」とされているが、永正8年(1511年)生まれの清康の妹が大永4年(1524年)に既に結婚して子供を儲けているとは考えづらく、実は清康の「姉」だったのではないかとする新川紀一の見解がある[1]なお、所伝では松平親乗は永正12年(1515年)生まれとされているため、伯父とされる清康とはわずか4歳差になってしまう。
  2. ^ 「(徳川)家康」と称したのは随念院没後のことである。
  3. ^ 徳川家康(松平元信→元康)の岡崎城帰還は最終的には今川氏の許可を得ており、家康の独断とは言えないとする説がある[7]

出典

  1. ^ a b c 新行(大石)、2019年、P140-141.
  2. ^ 大樹寺文書125号
  3. ^ 新行(大石)、2019年、P139-140.
  4. ^ 新行(大石)、2019年、P135-136.
  5. ^ a b c d 新行(大石)、2019年、P141.
  6. ^ 新行(大石)、2019年、P137-139.
  7. ^ 丸島和洋「松平元康の岡崎城帰還」『戦国史研究』76号、2016年


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