陳淏子
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陳 淏子(ちん こうし、1615年 - 1703年)は、名は淏、字は爻一、号は扶揺、西湖花隠翁など。中国浙江省杭州府銭塘県の人[1]。明末から清代康煕年間にかけての文筆家兼出版業者であり、博物学者、園芸家である。康煕27年(1688年)、74歳の時に、園芸書『花鏡』を刊行した。長子は陳枚(簡侯)。
- ^ 古勝1997a
- ^ 古勝1997a
- ^ 誠堂1978は陳淏は「選家」であったとしている。
- ^ 古勝1997a
- ^ 古勝1997a
- ^ 誠堂1978。誠堂は、日中戦争中に杭州文瀾閣の四庫全書をまもって貴州貴陽まで疎開させ、戦後杭州にもどすという大任をはたした目録学者の夏定域(1902年-1979年)の筆名。この文章の発表の経緯に関しては『富陽日報』2017年7月9日付け記事「夏定域:伝承古今典籍做一生学問」に記載があるが、記事には文章の発表年や掲載誌の巻号などについて不正確なところがある。
- ^ 古勝1997a
- ^ 王建2003
- ^ 古勝1997b
- ^ 古勝1997c
- ^ 王青平1985
- ^ 古勝1997a
- ^ 氏岡2015
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