間人皇女論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/02 17:06 UTC 版)
孝徳天皇が皇后である間人皇女に宛てた歌が「日本書紀」に残されている。 金木着け 吾が飼う駒は 引き出せず 吾が飼う駒を 人見つらむか 間人皇女が夫である孝徳天皇を離れ、葛城皇子(中大兄皇子、後の天智天皇)と共に飛鳥に遷った理由は明らかではない。しかし、上の歌の「駒」が間人皇女を璧喩しており、古代の「見る」が恋愛と直結するものであることから、自分の妻を他の男に「見られた」の意に理解し、中大兄皇子との近親相姦の関係を説く吉永登のような見解もあり、直木孝次郎らによって支持されているが、これに対して曾倉岑、荒井秀規らによる反論があり、荒井は穿ちすぎだと疑義を示している。
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