開拓者の道へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 21:35 UTC 版)
1882年ごろ、渡辺勝が、開拓者として北海道へ渡ることを理由に結婚話が破談になり、心を痛めていた。晩成社の発起人である依田勉三は彼を案じて、ともに晩成社の事業に着手している鈴木銃太郎に相談したことで、勝とカネの縁談話が持ち上がった。開拓者としての北海道行きを前提とした縁談であり、父の親長がカネに意志を確かめたところ、カネは武家の娘らしく、「お父様のおっしゃる通りにいたします」の一言でそれを受け入れ、結婚とともに開拓者の道を承諾した。 1883年(明治16年)1月5日、依田勉三の媒酌のもと、渡辺勝と結婚した。勝はすでに北海道に渡ることが決定しており、開拓団が横浜港を出発する前日の4月9日夜、横浜の共立女学校で結婚式が行われた。
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