長福寺 (八王子市)とは? わかりやすく解説

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長福寺 (八王子市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/29 15:39 UTC 版)

長福寺
所在地 東京都八王子市川口町2722
位置 北緯35度41分44.9秒 東経139度16分55.0秒 / 北緯35.695806度 東経139.281944度 / 35.695806; 139.281944座標: 北緯35度41分44.9秒 東経139度16分55.0秒 / 北緯35.695806度 東経139.281944度 / 35.695806; 139.281944
山号 鳥栖山
院号 観音院
宗派 真言宗智山派
創建年 江戸時代初期
開山 勝恵法印または頼永法印
別称 はぎ寺
札所等 八王子三十三観音霊場第9番札所、多摩八十八大師霊場第78番札所、東国花の寺百ヶ寺第9番札所
公式サイト 萩霊園長福寺~関東随一萩の名所~
法人番号 4010105000626
長福寺
長福寺 (東京都)
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長福寺(ちょうふくじ)は、東京都八王子市にある真言宗智山派寺院

歴史

1625年寛永2年)寂の勝恵法印、または1679年延宝7年)寂の頼永法印の開山と伝えられる。また勝恵法印が開山で頼永法印が中興という説もある。いずれの説にしても江戸時代初期に創建されたものと推測される[1][2]

現在は当寺境内にある「鳥栖観音堂」の別当寺として創建された。鳥栖観音堂(とすかんのんどう)は創建年代不詳の観音堂で、ある日火災に遭い、観音像が自ら飛び出して鳥の巣(鳥栖)に退避した逸話から「鳥栖観音」と呼ばれるようになった。また、この火災を逃れた逸話により「火防観音」との異名も持ち、江戸火消たちの信仰も集めることになった[2]

1917年大正6年)、宮城野萩を譲り受け、少しずつ増やしていった。その甲斐あって、現在では2700株まで増え、別名「はぎ寺」と称されるようになった。これは仙台藩第3代藩主伊達綱宗作の観音像が当寺に安置されていた縁による[1][2]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 長福寺について長福寺
  2. ^ a b c 西田鼎江 著『八王子三十三観音霊場―その案内と現況―』揺籃社、1993年、105-109p

参考文献

  • 西田鼎江 著『八王子三十三観音霊場―その案内と現況―』揺籃社、1993年

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