長徳寺 (板橋区)とは? わかりやすく解説

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長徳寺 (板橋区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/12 05:28 UTC 版)

長徳寺
所在地 東京都板橋区大原町40-7
位置 北緯35度46分10.4秒 東経139度41分49.0秒 / 北緯35.769556度 東経139.696944度 / 35.769556; 139.696944 (長徳寺 (板橋区))座標: 北緯35度46分10.4秒 東経139度41分49.0秒 / 北緯35.769556度 東経139.696944度 / 35.769556; 139.696944 (長徳寺 (板橋区))
山号 挙一山[1]
院号 遍照院[1]
宗派 真言宗豊山派
本尊 不動明王
創建年 不詳
中興年 建久年間(1190年-1199年
中興 行慈阿闍梨
札所等 豊島八十八ヶ所霊場14番札所、北豊島三十三ヶ所霊場14番札所
文化財 長徳寺阿弥陀如来木像(板橋区指定有形文化財)[2]
公式サイト 真言宗豊山派長徳寺
法人番号 4011405000415
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長徳寺(ちょうとくじ)は、東京都板橋区にある真言宗豊山派寺院

歴史

創建年代は不明である。ただ建久年間(1190年-1199年)に行慈阿闍梨によって中興されたことから、少なくとも鎌倉時代初期には既に存在していたものと推測される[3]

かつての本尊運慶作とされる大日如来像であり[注釈 1]、「子育大日尊」として知られていた[注釈 2]。しかし1945年昭和20年)4月13日空襲で焼失した。現在の本尊は不動明王1963年(昭和38年)に造られたものである[3]

本尊と同じ年に、本堂などの堂宇も再建され、1980年(昭和55年)に山門も再建された[3]

寺宝等

交通アクセス

脚注

脚注

  1. ^ 新編武蔵風土記稿』に「大日ヲ本尊トス」と記述がある[1]
  2. ^ ただし、1600年慶長5年)に火災に遭っており、その時に運慶の像は焼失している可能性もある。

出典

  1. ^ a b c 新編武蔵風土記稿 前野村.
  2. ^ 板橋区.
  3. ^ a b c 板橋区教育委員会 編『いたばしの寺院(文化財シリーズ第39集)』板橋区教育委員会、1982年、86-88p

参考文献

  • 板橋区教育委員会 編『いたばしの寺院(文化財シリーズ第39集)』板橋区教育委員会、1982年
  • 「前野村 長徳寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ14豊島郡ノ6、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763977/60 
  • 長徳寺阿弥陀如来木像”. 板橋区公式ホームページ. 2020年11月3日閲覧。

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